てであった。
地震発生直後から一時間半にわたって、ポートアイランドに設置してあった高所監視カメラが故障のため使用不能となった。このため、神戸市消防局の職員は、市役所の最上階、24階を臨時の望楼とし監視を始めた。その結果、「灘方面に炎・煙が5カ所、中央区に1カ所、長田方面は火災による黒煙で雲が発生したような状況であり、無数の炎を確認」という報告が得られた。119番による通報は、NTT交換機の故障による無音電話やガス漏れ、救出依頼、地震問い合わせなどが多く、火災通報は午前6時まではゼロ、7時までに11件と少なかった。午前7時10分、消防局長への報告では、火災発生24件、内炎上中19件であったが、実際は午前7時の段階で70件もの火災が発生していた。午前6時50分に設置された市消防本部指揮所では、実際の約1/3の火災しか把握されていなかったのである。
【同時多発する火災】
一方、現場の消防署は混乱を極めていた。長田消防署の当直責任者だった鍵本係長は、待機室で仮眠中に激しい揺れに襲われた。直ちに全員を出動させ、1階に降りたときには、すでに署近くに2本の火柱を確認している。さらに南部の出張所近くでも火災が発生していた。すぐに3カ所の現場に消防隊を出動させ、1隊に同行した。
本部に応援要請しても、余裕がなく、各署所で対応せよといわれるだけであった。ただ、非常招集の署員が参集するのを待つしかなかったのである。そこで、係長は、可能な限り部隊を分散させ火災現場に1台でも消防車を配置し、市民の協力を得て活動効果を高めること、消火栓断水に対しては、可能な限り防火水槽等でつなぎ人手が集まれば自然水利を確保すること、救助案件については、市民の中でリーダーになれる人を見つけ消防署にある資機材も含めあらゆるものを使うことなどの方針を立てた。しかし、いくら消防ががんばっても、これだけの同時多発火災を相手に、しかも水利不足の中で戦うには無理があった。敗北は明らかだった。問題は、負けの程度をいかに少なくするかであった。
【地元消防団の活躍】
常設消防力の不足を埋めたのは、地元の消防団であり、被災者である住民であり、広域応援の消防であった。普段の火災には、ほとんど活動しない消防団が、今回は、大活躍した。神戸市の北区と西区などの消防団は、管轄地域の被害も軽微だったため、本部の指令を受け長岡区と須磨区の火災現場に61台、367名が出動した。「阿修羅のごとく炎が高く渦巻き、今までに経験したことがない速さで延焼している現場に出動した」西消防団は、ホース120本で2線延長し消火活動にあたった。その炎の勢いは、まさに消防隊をあざ笑うかのごとき速さで西へ西へと延焼していったという。延焼阻止のために団員は必死でがんばったが、ホースが車にひかれ破裂する度に水圧が低下し、ホース交換に貴重な時間を浪費するなど悪戦苦闘を繰り返した。このような状況下にあっても団員の士気は高く、8時間に及ぶ懸命の消火作業が実り、翌18日未明にはさすがの猛火も収束に向かった。また、灘区、兵庫区、芦屋市、伊丹市、北淡町などの消防団も小型動力ポンプによる放水やバケツリレーによる消火作業、あるいは消防隊の支援活動などを行い、消火に大きく貢献した((財)日本消防協会『阪神・淡路大震災誌』1996.3)。
【住民によるバケツリレー消火】
一方、市民による消火も活発になされた。西宮市では発生した35件の火災の8割(28件)で初期消火が行われ、うち4件が消防隊の手を煩わせることなく消火に成功した。また、延焼が拡大した現場でも多くの市民が参加し消火活動が活発になされた。日本火災学会の調査によると、近くで火災が発生したことを知った人のうち、23%が消火活動を実施したという。また、神戸大学室崎研究室の調査によると、94の火災現場のうちの約7割(77カ所)で市民による消火活動が行われ、そのうち、30人以上の市民による大規模