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消防署員が警察官以上に厳しい状況に追い込まれたのは、消火と救出との役割葛藤が原因である。灘消防署の野村一夫は、消火活動中に数カ所で生き埋めになっているという通報を受け、ホースの筒先を現場近くにいた人に渡し、放水目標を指示して、生き埋め現場に向かっている。また、長田区の菅原市場の火災現場に出動した署員は、火勢に押されて後退を余儀なくされていたところに、家の下敷きになったものがいるから助けてくれと言われ、これも救出現場に向かっている。現場の消防士たちは、延焼阻止が困難な状況の中で消火活動を続けるべきか、それとも近くの生き埋めの救出を優先すべきか、という厳しい判断を迫られていたのである。

一方、普段目立たない消防団の活躍も特筆されるほどすばらしかった。淡路島で最大の被害を受けた北淡町では、消防団員が中心になり、住民の協力を得て、早期の救出が行われ、当日中にほとんどの救出作業を完了している。高齢化や団員の確保に因つている大都市、神戸の消防団も大活躍した。特に、救出活動に関しては、1月17日だけで862名も救出しており、当日の神戸市消防隊が救出した604名より多く、しかも生存救出率が88%と圧倒的に高いというすばらしい成果であった。地元におり、地理や近隣の状況を熟知している消防団が果たした役割は、非常に大きかったのである。

午後になると、消防の広域応援も動き出した。当日午前10時、兵庫県知事から消防庁長官への応援要請を受け、全国の消防本部からの応援出動が大規模に行われた。大阪市の消防局が13時40分に長田区に到着したのを皮切りに当日午後9時30分には救助隊81隊が到着し救出活動にあたった。

一方、自衛隊の救出部隊は、伊丹駅の倒壊現場や西宮の病院への近傍出動を除き、午前10時の兵庫県知事からの派遣要請を受けてはじめて出動したが、途中激しい交通渋滞に巻き込まれたことから現場到着がかなり遅れた。姫路の第3特化連隊の部隊が枠戸に到着したのは午後3時過ぎのことであった。その後、各地から派遣されてきた部隊が続々と現場に到着した。当日中だけで3,300名、翌日以降は1万人を超える体制で救出にあたった。

 

【救出活動の成果】

これらの救出活動の結果、各機関が救出した人数は、どのくらいになるのであろうか。救出活動は、協力して行ったものが多いことや混乱の中で行われたことなどから正確な数を出すことは困難であるが、警察が3,495名(兵庫県警察本部『阪神・淡路大震災警察活動の記録』1996年1月)、消防は2,987名、自衛隊は1,412名(国土庁『平成7年度防災白書』)、合計で7,894人を救出したものと考えられる。この内、生存救出率は消防で46%、自衛隊で12%となっている。自衛隊の生存救出率が低いのは、救出困難なケースを多く担当したことや現場到着時間が遅かったことが原因と考えられる。警察の生存救出率のデータはないが、もし消防と同じとすれば、警察の生存救出数は1,607人となり、これら3機関が収容した遺体数は死亡者全体の86%にあたる4,724人に達する。一方、生存救出数は3,710人に留まる。すでに述べたように、救出された人の96%前後は被災地域の住民による自主救出によるものと推定される。

死亡の原因は、9割が家屋倒壊による圧死で、1割が焼死であった。しかし、焼死の中には圧死した後に焼かれたケースが含まれており、直接の死因から見ると、ほとんどが圧死だったと推定される。検視による死亡時間の推定によると、地震直後の午前6時までに亡くなったのが60%、当日正午までが26%、正午から当日24時までが8%で、当日中だけで93%に達している(兵庫県警察本部『阪神・淡路大震災 警察活動の記録』1996.l P87)。とすれば、救出活動は、発生後6時間以内に本格化しない限り、死者数を大幅に減らすことはできなかったということになる。したがって、抜本対策は、圧倒的原因となった住宅倒壊の未然防止ということになる。これまで粘りがあり地震に強いと考えられていた日本の

 

 

 

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