賞に選ばれた活動事例は、地方の山深い農村・中山間地域ならびに大都市の密集市街地の防災まちづくりであった。これらの事例に共通していることは、都市の防災や生活の安全に関する切実な問題を抱えていること、また防災まちづくりの原点というべき人々の相互扶助や連帯が色濃く残っている地域であるという点であろう。新しい展開の萌芽もみられ、今後の地域づくりを考える上で大変参考になった。ここでは選考会を通して得た感想と、今後の防災まちづくりのあり方にについて若干の私見を述べてみたい。
2)農山村の防災まちづくりの風景
応募事例の中で最も印象的だった事例は、大賞に選ばれた「岐阜県春日村の小中学生の夜警活動」だった。明治22年以来、100年以上も続けているという。その話だけでも感動的だった。ある程度年輩の日本人ならば、誰しも町内の夜警活動に参加した経験をもっているのではないだろうか。私の場合も子供時代に農村地域に疎開していた時の「夜警活動」の体験が鮮明に思い出される。夕方、日が暮れる頃になると、近所の子供たち3〜4人が集まり、拍子木を打ち、「火の用心」と大きな声を上げながら集落の中を巡回した。当番制で毎日欠かさずやっていた。辛い日もあったが決まりなのでやらざるを得なかった。今になって考えてみると楽しい思い出の方が多かった。小高い丘の上から遠く離れた人家に向かってありったけの大声で叫ぶときなどはとても気分の良いものであった。
火災は農村の生活を脅かす最大の脅威であったから、日常の生活の中に「火を用心するシステム」を築く必要があったのであろう。まちの中の人声や拍子木の音は都市のノイズと異なって、聴覚を通して心に響く人々に共感を与える情報である。そのコミュニケーションの役割を子供たちが担っていたわけである。この意味で子供たちの参加による「火の用心」は、優れた社会システムではなかっただろうか。そこには防災という側面だけではなく、社会参加を通して地域社会の中で子供を育てるという村人たちの深い知恵がその背後にあったと思うからだ。子供たちの遊ぶ姿や風物詩ともいえる拍子木の音は、いつの頃からかまちから消えた。現代は学校教育や家庭教育の枠組みの中だけで子供を育てる仕組みとなっているが、地域社会の中で子供を育てる発想もこれからの社会を考える上で再考すべき大事な要素だと思う。「火の用心」を防災まちづくりの原点として、またヒューマンリレーションや社会的感性を養う人間教育の原点として考えてみる必要があろう。