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志を実践に移したことを物語っている”との記事を掲載した。52

このように最近の国際的デタントにもかかわらず、中国が海軍力を増強しようとするのにはそれなりの正当性がある。中国の海軍司令官、張連忠提督は、”我々は中国が海を通じて帝国主義の列強から7回も侵略された事実を、決して忘れないだろう。中国が海洋防衛に脆弱であったため苦しい日にあったという事実は、我々の心にしっかりと刻まれている。歴史は繰り返されてはならない。”53と述べたことがある。もちろん中国は明の時代に東洋、西洋のどの国家と比較しても劣らない世界的な海軍を保有していたが54、中国海軍はそれ以降は斜陽の一途を辿り、毛沢東の戦略思想でも海軍が占めた役割は、微々たるものであった。だが1970年代にソ連が極東アジア地域での海軍力を増やし、ソ連海軍の極東進出が増強されるにつれ、中国の海軍政策にも変化が起こり始めたのである。これと共に中国が自給自足の経済構造から脱皮し、開放政策を推進し始めてから、中国は国際社会と貿易を行う構造へと変わり、その結果、海路の戦略的重要性を認識するようになった。55

1949年中国政府樹立以降、中国が介入したすべての戦争が陸地戦であり、その結果として陸軍力は強調された反面、海軍は常に劣った位置に留まるしかなかった。特に1970年代以後南シナ海の南沙(Nansha)島と西沙は(Xisha)島が重要な領土紛争の要因として登場した。中国はこの諸島を常に、中国領土の一部とみなしていた。この島の2つの主要群島であるパラセル(Paracel)とスプレートリ(spratly)は、1975年以後これらの島に対するベトナムの領有権主張で問題になった地域である。中国人達は、ベトナムは南沙諸島にへの不法侵略と占領を10回以上も敢行し、1980年代後半以降もこの諸島に対する攻撃的態度を変えずにいると考えている。だが中国は、この地域の問題を今すぐ処理するよりも、時間をかけて処理しようとしている。1979年のベトナム戦争で、準備がろくにできていない状況で戦争をし、かえってひどい目にあった経験があることと、現在の中国の海軍力をすべて動員してもやっとベトナムに勝てる程度でしかないためである。まさにこの頃、トウ小平は単純な沿海防衛目的を超えた、現代的な能力を持つ外洋型海軍(Blue Water Navy)を建設しなければならないと主張した。56当時中国はベトナムと領土紛糾の島嶼問題を武力で解決する力がないと考えていた。この際海軍力を増強し、その後でこの問

 

52 Jane's Defense Weekly, June12,1992.

53 Tai Ming Cheng, "Growth of Chinese Naval Power : Priorities, Goals, Missiongs, and Regional Implications" Pacific Strategic Papers (No.1. 1990), Singaporek Institutue of Southeast Asian Studies, p.3 から再引用。

54 Paul Kennedy, Rise and Fall of the Great Powers : Economic Change and Military Conflict from 1500 to 2000, (New York : Random House, 1987), pp. 5-9.

55 金 泰訳”中国の国防現代化と安保政策”「国防と技術」118号(1988年12月号)pp.62-64.

56 平松茂雄、「中国海軍」(東京、勁草書房、1991),pp.147-153.

 

 

 

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