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第二次中東戦争、1976年のレバノン事件の際には、地中海にソ連海軍が出動し、大西洋では1975-1976年のアンゴラ内乱時に、ギニア海峡で活動したことがある。以降1971年インド、パキスタン戦争、1973年第二次中東戦争、そして1977-1978年エチオピア、ソマリア戦争時にインド洋での活動を積極的に展開した。20

この他にも目立ったソ連海軍の活動としては、port vist, naval access to port facilities,そしてソ連の対外政策を支援する方法での海軍の介入を挙げることができる。

それ以外にもソ連海軍は核抑止と有事の戦略核兵器(SLBMを含む)が使用できるという計算のもと、1970年代と198年代まで絶えず発展し続けてきた。21 だがここで注意しなければならないことは、ソ連海軍の発展モデルは、あくまでソ連の対外戦略の一環として推進されたてきたという点であり、陸軍、KGB及びGRU所属部隊、特別戦時軍事力(spetznaz等)空軍、そして戦略軍事力(strategic forces)と同様に、ソ連指導者層が示した主要政治、軍事によって発展、活用されてきたという点である。例えば1970年代からソ連は、米国との戦略核兵器のバランス(strategic Parity)を達成したという自信感のもと、純粋な軍事目的としての海軍任務を、第三世界での紛争介入や、全般的な外洋型海軍力強化作業に着手するようになった。米国が1960年代中盤から1970年代初頭までベトナム戦争に介入するようになると、ソ連は技術の近代化に力を注げるようになった。これはソ連の判断(力のcorrelation)が、次第にソ連に有利な方向に展開するということに基づき行われたものである。

したがってソ連海軍を、独自の作戦要因(operational entity)として見るのは困難である。これとは反対にソ連海軍はソ連軍の全般的な役割に帰属するとみなすことはできる。もちろん伝統的にソ連軍が政治に重要な影響を及ばしたことは事実である。特に軍の保守的な傾向が、常に政治首脳部と意見の一致をみたとみなすことはできないが、党の優越性に挑戦したり、これを全面的に否定したことはなかった。したがって、ソ連海軍の役割を分析し展望するには、純粋に軍事的な側面を排除することはできず、また排除してはならないが、今後のソ連海軍は、ロシアが立てた安保戦略に適応するしか道はないであろう。このことと関連してゴルスコフ元ソ連海軍司令官が強調したソ連海軍の基本指針は、現在もそ

 

20前掲書,p.12.

21ソ連の海軍が、1960年代と1970年代に成し遂げた代表的な業績の一つは、領土範囲とパワープロジェクションの一環としてバレンツ海、ノルウェー海、北海、地中海の東側地域、バルチック海、そして太平洋の日本海等の海洋ルートに対する積極的な海軍力の誇示だと言える。同様に1980年代以降、持続的に発展してきた太平洋艦隊は、既存の4つの艦隊の中で最も現代化され、規模が大きい艦隊にな転換しつつ、1980年代以後米国と中国の戦略的協力とアジア太平洋地域におけるソ連の弱体化を考慮して、積極的に推進された。 Bruce W. Watson and Susan M. Watson, eds., The Soviet Navy: Strengths And Liabilities (Boulder, co: Westview Press, 1986), p.269.

 

 

 

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