また同条約第3条により沖縄を含む南西諸島が米国の施政権下に置かれることとなったが、尖閣諸島は、本来同条約第2条に基づき台湾と共に中国に返還されるべきであった。(訳者注:日本の立場は、同条約第3条が定める北緯29度以南の南西諸島に尖閣諸島が含まれる以上、米国の施政が終了し、沖縄が日本に返還された際、尖閣諸島もまた日本に帰属したというもの)
1969年に尖閣周辺海域に石油が埋蔵されている可能性があると報告されて以来本件に対する注目が高まり、日中(台湾)間の対立も加速された。同海域の前の施政者であった米国は、南西諸島は尖閣を含むが争いは当事者間で解決されるべきとの見解を発表した。こうした米国の態度は、日本からはあまりに中立すぎると、また中国からは日本寄りであると批判された。
1978年に訪日したトウ小平副総理(当時)は「本件を棚上げし、次世代を待つ」との考え方を示し、同年締結された日中友好条約に尖閣諸島に関する言及はない。その後、中国の漁船がデモを行ったり、日本の右翼が灯台を建設したりといった小競り合いが続いた。
1992年に、中国は、台湾及び釣魚島を含むその付属各島を中国の領土とする旨規定する「領海及び接続水域に関する法律」を採択した。
2.中国の立場
中国の立場は、「魚釣島を含むその付属各島は古来より中国の領土で、日本による占領がかかる歴史的事実を変更するものではない」というものである。その理由は以下の通りである。
地理的に、東海大陸棚に位置し、その南端に沖縄トラフ(舟状海盆)と接する尖閣諸島は、沖縄諸島と異なり台湾の一部である。
歴史的に、1884年に沖縄の漁師(訳者注:福岡県の古賀辰四郎氏)が発見する数百年前に中国人に発見・命名されていることが古文書等から明らかである。
また周辺海域は長年中国漁民の漁場として使用されてきており、発見に加えて実効的な支配によって中国は領有権を確立している。
国際法の観点からは、1895年に日本が尖閣諸島の編入を一方的に宣言したことは無効であり、同年の下関条約で台湾と共に割譲はされたが、日本の敗戦に際し中国に返還されたと考えるべきである。サンフランシスコ講和会議には中国は参加しておらず、従って同平和条約は中国にとって違法且つ無効である。