3.日本の立場
日本は、以下の理由に基づき、尖閣諸島が日本の領土であるとの立場をとっている。
第一に、1894年までいかなる外国も尖閣諸島の領有権を確立していなかった。同年の古賀辰四郎による発見以降、実効的な支配が始まり、曖昧に琉球の範囲を定めたそれ以前の中国古文書は証拠として無効である。
第二に、尖閣諸島の日本編入は、下関条約による台湾割譲とは無関係であり、それ以前に行われている。
第三に、尖閣諸島は日本がサンフランシスコ平和条約で放棄した領土に含まれておらず、米国の施政下にあった沖縄諸島の一部であり、従って沖縄返還によって再び日本に帰属した。
4.領有権に関する法的分析
尖閣諸島の領有権に関する中国の主張には有効な根拠があり、日本の主張より強いものである。第一に、古賀氏が発見したとされる1895年以前にいずれの国も尖閣諸島を領有していなかったという日本の主張には疑義がある。国際法が発達する17世紀以前は、所有(possession)と管理(administration)という要件がなくても発見が領有を意味していた。古文書や地図に当時の中国が尖閣諸島を領有していたと記録されていることは、古賀氏発見当時に尖閣諸島が無主地(terraenullius)ではなかったという有力な証拠となり得る。
第二に、日本の尖閣諸島併合は、日清戦争後の下関条約と密接に関連がある。日本は下関条約以前に編入したと主張するが、沖縄県の度重なる尖閣編入の要請を10年間にわたって日本政府は却下していたのに日清戦争の勝利と共に右要請を承認した事実を見れば、編入が下関条約に根拠を置くことは明らかである。第二次大戦後、日本が1941年以前に中国と締結した条約は無効になったので、下関条約に基づく日本の尖閣諸島併合も無効となった。
第三に、沖縄返還条約が尖閣諸島を含んでいることは日本の領有権の証拠とはならない。戦後米国が沖縄と共に尖閣諸島を施政下に置いていたことは、領有権について創設的効果を持つものではない。日本が国内法を以て尖閣諸島を沖縄県に編入したことは中国が失われた領土を回復する権利を制限するものではない。
下関条約が廃棄され、台湾が中国に返還された時点で、中国の尖閣諸島に対する領有権は復活(regain)し、米国の統治が終了した時点で回復(restore)したと考えられる。