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安を呼び起こしたのである。これらの諸国は南シナ海をめぐる係争が戦略的・経済的バランスを崩し、同地域の不安定化を招くことを恐れているのである。

 

カンボジア紛争後の時代、ASEANは南シナ海の紛争に終止符を打つ共通の枠組みの模索に主導権を握る機会を見い出した。ASEANの戦略は、ASEAN首脳会議の後中国を「オブザーバー」および他の大国と同様に対話パートナーとして招き、南シナ海の領土紛争の解決を模索する継続的な議論のできるフォーラム作りを目指すことであった。中国はまだ合意調印には至っていない。しかし、中国が極端にナショナリスティックな行動に出る意図がないことを示す兆候はある。東南アジア諸国に安全を保証し、彼らの不安を緩和するために、中国はPLANが東南アジアの脅威へと成長することを否定した。中国は、PLANの近代化が必要なのは、南シナ海の自国の沿岸領土を保護し、基本的な国益を守るためだとしている。誠実さを示すため、中国の指導者達は、中国が同地域の平和と安定の促進を望み、特にASEAN諸国との領土紛争解決を望んでいることを繰り返し述べてきた。また、同様の目的で、北京は主権に関する微妙な問題を棚上げし、係争相手国からの共同開発の提案を歓迎したのである。このように、地政学的イシュー重視から地経済的イシュー重視への転換は、中国の対東南アジア政策の中では重要な優先課題である。この意味で、中国の東南アジアに対する認識は、1950年代および1960年代の敵対視から、1970年代の友好視、そして1980年代および1990年代の経済協力へと変化してきたと言えよう。

実際、1990年代の初めから、中国とASEAN諸国の経済協力は活性化したのである。例えば、1993年、マレーシアの対中投資は3520万ドルに達すると予想される。さらに、シンガポールは中国とASEAN間の経済協力の重要な国家として台頭してきた。

 

中国は、1974年1月および1988年3月と同様に、占領された自国領土の「解放」と称して、特にベトナムに対して再び武力を行使するであろうか。中国は武力行使の権利を有すると述べてきた。中国が武力を行使する場合には、恐らく5つの条件がある。第一に、米国やロシアのような域外の超大国と同盟関係にある敵対国から南側面に深刻な攻撃を受けた場合である。第二に、トウの4つの近代化計画に大きな失敗が生じた場合である。第三に、ポストトウ時代に、超強硬派が復活した場合である。第四に、南沙諸島で大量の炭水資源が発見された場合である。第五に、1974年1月に西沙諸島をめぐる紛争で南ベトナム政府の挑発を受けたように、敵対国から深刻な挑発を受けた場合である。

 

 

 

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