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1970年代以来しばしば、中国は領有権を主張する他国からの挑戦に応えて、「南沙諸島と西沙諸島」が自国領であることを繰り返し主張しなければならなかった。中国のこれらの島々に対して正当な主権を持つことは議論の余地はなく、いかなる国もこの主権を侵犯することは許されない、という訳である。(12)

 

また、中国の高圧的態度の高まりは、中国のパワーの増大と自身の自然の成り行きであるとも言える。中国の印象的な経済成長(1993年予測では13%)と中国がNIESのような強力な工業国になるという指導者の信念が心理的な勢いを中国に与え、戦略的・経済的競争のみならず、外交交渉においても中国が敵対関係にある諸国家に対して自己主張を強めてきたのである。クリス・パッテン総督の主導による香港民主化プロセスに対する中国の断固たる態度は、英国の圧倒的なパワーに対抗する中国の自信が高まっている証拠であった。19世紀半ば、アヘン戦争後の中華帝国は、英国のこの圧倒的なパワーに挑戦することはどうしてもできなかったのである。今日の中国は過去の中国ではなく、将来は強力な国家となるであろう。要するに、この自信の高まり、経済力、そして軍事力のために、必要に応じて、南沙諸島領有権を主張する他の諸国や大国からの反撃を恐れずに自己主張できるまでになったのであろう。

 

別の分析では、中国の自己主張の高まりは、有利な立場にある近代化エリートと、不利な立場に追いやられたために南沙諸島問題を立場挽回に利用したいと考えた保守民族主義者の間の権力闘争にも起因する、という説がある。(13)さらに、別の学説は、PLANはより多くの予算獲得のため、南沙諸島で危機的な状況を創り出す必要があるからだ、という議論がある。(14)最後に、中国の最近の自己主張の高まりは、中央当局に挑戦しようとしている勢力、例えば、国内の地域主義者(サブナショナリズム)や国内と香港の民主化運動家や台湾の独立分離派に、北京当局が重要な国家政策を完全に掌握している(15)ことを印象づけたいという中国の欲求だと解釈することもできよう。

 

1950年代と60年代に中国が低姿勢政策をとった理由の一つに、人民戦争論を唱える毛沢東の軍事思想がある。PLANの役割は、まず潜在的な侵略者を駆逐し、沿岸水域の防衛を援助することであった。したがって、PLANの装備には十分な資金は配

 

 

 

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