中国の対南シナ海政策の変化
シンガポールの見解:主権堅持するも戦略・戦術的には柔軟
プー・シー・キム(シンガポール)
要旨
本稿は中国の対南シナ海政策の変化を、1950年代および60年代の低姿勢、1970年代の懸念の高揚、そして1980年代の高圧的姿勢として特徴付け、こうした態度の変化の国内的および国外的要因を分析し、将来の中国のとるべき姿勢を示唆するものである。
1950年代および1960年代の中国の対南シナ海政策が低姿勢であった最大の国内的要因は、毛沢東の国内政治・経済再建重視の姿勢、および毛沢東が共産党内部の権力闘争に注力していたため、南シナ海に対する関心が希薄であったことが挙げられる。さらに、毛沢東自身が内陸出身であること、人民解放軍近代化に対する無関心な態度もこの時期の低姿勢政策の国内的要因として指摘できる。他方、国外要因としては、毛沢東の関心が南シナ海そのものよりも、むしろ同地域の共産革命政党を支持することにあったこと、および北東・東南アジアの沿岸防衛にあったことが挙げられる。
続く1970年代には、毛沢東の死亡により、中国はトウ小平体制の時代に入った。これに伴い、トウ小平の徹底的なプラグマティズムにより、人民解放陸海軍も近代化の対象となったのである。さらに、人民解放陸海軍エリート内部の権力闘争により、最も弱小であった海軍が台頭する機会を得たことも、この時期の高まる懸念の国内要因として指摘できる。他方、国外要因としては、他の国家の領有権主張の増加、石油/ガスなどの資源の発見、米ソの影響などによる同地域の国際関係の変化などが挙げられる。
1980年代の高圧的態度の国内要因としては、ナショナリズムの高揚、経済発展によるパワーの増大が挙げられる他、近代化エリートと保守ナショナリストとの争い、予算確保のために紛争を起こしたい人民解放陸海軍の存在を指摘する説もある。他方、国外要因としては、南シナ海の戦略重要性が挙げられる。中国は、同地域に依存した経済供給および対外貿易が戦時において遮断されることを懸念している。また、同地域を押さえることができれば、同地域の諸国に対してバーゲニング・パワーを増大することができるのである。さらに、中国の高圧的態度を新たな拡張主義、日本を脅威視している表われとする学説もある。
中国の自己主張の強化から、次のことが指摘できる。第一に、中国は主権堅持の姿勢をとりつつも、戦略・戦術的には柔軟である。第二に、南シナ海の領有権問題は、中国の軍事パワーと目的達成の意志の強さを表わしている。さらに、中国の高圧的態度は、ASEAN諸国の間にナショナリズムを再燃させ、ASEAN内部の係争まで引き起こしている。しかし、中国が実際に重視しているのは、経済・技術発展であり、中国は武力行使を選択せざるを得ない状況にはない。よって、近い将来の中国の対南シナ海政策においては、戦争が起こる見込みは薄いであろう。中国の採るべき選択は、緊張緩和と融和である。これは中国およびすべての国家にとってよい結果をもたらすであろう。