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の一つの手がかりは、中国海軍の現在の方針と「ソ連海軍の父」と言われるゴルシコフ海軍元帥の冷戦中の戦略とが驚くほど似ているという事実である。

 

27.当時のソ連の政治的、経済的願望が今日よりも複雑難解であり、今日の中国は幾分違ってはいるが、安全保障の面では全く違う。例えばソ連は、自国の政策に敵対するばかりでなく、軍事力でも技術的にも運用的にも自分達より優位に立っている米国やその他のNATO諸国政府に自分たちが取り囲まれている、と見ていた。これに対して、中国は上述した理由から、全く囲まれても脅威を受けてもいないが、不安定さが広がり、周辺諸国がますます近代的な装備で武装を進めている海洋地域で、その影等力の及ぶ範囲を拡大する必要がある、と考えている。ゴルシコフの海軍戦略は、ソ連にとってよい方に作用し、ある局面は中国のそれの中にも残っているように見える。ここで、ソ連の初期の海軍発展の要点を簡単に振り返ってみる価値はあるであろう。

 

28.米国かSSBNと核攻撃可能な飛行隊を搭載する新世代の攻撃空母を開発したことによって、本土の奥深くまで攻撃できる海上打撃能力を持ったことをソ連は1958年までに認識した。発射プラットフォームとその護衛兵力は、ソ連の陸上基地の航空機の攻撃範囲の外で作戦でき、水上艦の装備が主に火砲で、潜水艦の大部分が通常型であったソ連海軍に対し、比較的脆弱性を見せることはなかった。

 

29.これに対抗して、ソ連は新しいミサイル装備艦や原子力潜水艦、SSBNの開発に着手した。それより前、ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフとその上級顧問は、海軍から見て新しい脅威がソ連にとって何を意味するかについて実質的な理解をほとんど示さなかったために、ソ連海軍には(最近までの)中国海軍と同様に、赤軍を支援するための近距離本土防行任務しか与えられていなかった。しかし、ソ連海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフは、海軍戦の様相が変化していることに深い認識を持ち、自ら巧みな政治的手腕を使って、自らの考案したドクトリンを推進し始めた。ゴルシコフの主な戦闘目標は、米国のSSBNが思うままにポラリス・ミサイルを発射する選択肢を与えずに、ソ連の重要目標に対して航空攻撃を加えられる距離に到達する前に米国の攻撃空母を撃滅することであった。彼の解決法は単純かつ有効で、今日のロシア海軍の海軍戦略の基礎を成すものである。ポラリスA2ミサイルの射程を1,500カイリとして、モスクワを中心とする弧を描くと、この中に入る海域は東地中海とノルウェー海である。1961年にはソ連艦艇はこれらの海域で行動するようになった。それ以後の期間を通じて、ソ連海軍の活動と本土からの展開距離は増大を続けた。調達と訓練プログラムは、高度技術を使ったウェポンシステムの取得、ASW戦術(つまり対西側SSBN)及び複合武器による対空母戦に重点を置いていることを反映したものとなった。ソ連海軍の主な戦略任務は、多重防衛システムによって防御されたSSBN兵力を供給することとなった(現在もそうである)。

 

30.ゴルシコフの海軍戦略、戦術が成熟されてくるにつれて、その行動海域は変化する(認識された)脅威に合わせて定義し直された。ソ連の主な海上の敵であるNATO海軍に対処する任務を与えられ

 

 

 

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