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それはフィリッピンのマニラに向かっていたが、ギリシャ、ユーゴスラビア、スリランカ、エジプトからの23人が乗組員として乗り込んでいた。

 

1995年9月13日午前12時30分頃にアナ シエラ号はタイ湾の北緯11度15分東経102度にあった。船には軽便機関銃を持った30人の武装海賊が乗り込んでいた。賊は快速ボー卜で近づき、全速力で航行していたアナ シエラ号に乗り込んだのであった。海賊は乗組員室へ行った。乗組員をその部屋から出すために、乗組員室への戸をめがけて軽便機関銃が発砲された。今や海賊の支配下にある乗組員は2人づつ手錠をかけられて、小さな2室に押し込まれた。彼らは鍵のかかったその部屋に2日間置かれっぱなしであった。

 

1995年9月15日の早朝に、北緯8度20分東経107度14分のヴェトナム沿岸60マイルの所で乗組員の8人が甲板に連れて来られ、殺すと脅された。それから荒波の海上に浮かべたの小さな筏に食料、水、航行用装備も無しで移された。何時間後かに残りの15人の乗組員が救命筏に乗せられ、その後アナ シエラ号は行ってしまった。乗組員8人が3時間20分後にヴェトナムの漁船2隻に拾い上げられてコンダオ島に連れていかれた。残りの15人もヴェトナム人漁師に助けられてヴァンタウに連れて行かれた。

 

1995年9月16日に船長はヴァンタウから船主に電話を入れ、電話を受けた船主はキプロス当局に警告した。キプロス当局はすぐにインターポル(INTERPOL)、ホノルルのアメリカ地域調査救済当局、アメリカ空軍に連絡を入れ、アメリカ空軍はアンヴァー(American Mutual Vessel Search and Rescue)警告を出した。

 

1995年9月18日船主はIMBに連絡を取った。IMBはその失踪船舶の広範に渡る捜査を開始し、その船舶について書かれた文書と写真がその地域の港務部長と貨物運送代理店に回覧された。失踪先の手がかりになる情報と引き換えに、相当な額の懸賞金が船体保険業者達に代わってかけられた。

 

1995年10月5日IMBにその船が中国南方の北海(ベイハイ)にいると報告が入った。IMB捜査官はその情報の確認に北海へ出向いた。1995年10月8日IMBの捜査官は港を訪ね、アーティック シー号が4番埠頭に停泊されているのを発見した。捜査官はこの船がアナ シエラ号であると断定した。この船のダイアガラ号と言う元々の名前は船首と船尾にしっかりと残っていたし、文字の輪郭からまだアナ シエラ号と読む事も可能であった。

 

1995年9月20日午前10時にその船は前もって連絡もなく北海の投錨地に着いたのであった。船長により後で偽物と判明されるアーティック シー号と言う名前で書類が提出された。乗組員の内たった一人しか適格な証書を持っていなかった。偽造書類の中にはブラジルで積み

 

 

 

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