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民一人ひとりの暮らしの充実とそれを支えるまちづくり」と「環境と調和した活力と創造性に富んだまちづくり」の二つを掲げている。

一方、現行の計画は昭和63年に策定されたものであるが、環境については部門別計画のなかで「21世紀に誇りを持って継承しうる、より質の高い都市環境を創造していく」と記述されているにとどまり、計画全体を貫く大きな柱にはなっていない。この違いは、近年の地球環境問題への対応を反映するとともに、都市と環境は、無作為・当然に調和するものではなく、むしろ人間(市民)が環境に対する配慮をおろそかにすると、都市が環境を破壊し、都市も人間も滅びてしまうのではないか、という危惧の念の現れといえよう。

この小論では、まず、札幌の都市としての発展と環境との関わりを中心に環境問題の変遷を簡単に振り返り、さらに、新たな時代に対応した札幌市の環境行政の制度的な枠組みについて紹介したいと思う。その上で、現在、顕在化しつつある問題や、今後、顕在化が予想される問題についても具体的に取り上げてみたい。

1 札幌の発展と環境

(1) 開拓期・戦前の札幌

先に述べたように、札幌開拓の歴史は明治2年の札幌本府建設に始まるが、注目すべきは、開拓使の「お雇い外国人」の勧告、助言をはじめとする近代的な欧米文化の積極的な導入である。なかには当時受け入れられなかったものもあるが、広く海外の進んだ知識、技術を取り入れた進取性は、今日の札幌の市民性に強く受け継がれているといわれる。

ちなみに、「お雇い外国人」の約6割はアメリカ人であった。しかし、アメリカの開拓では開拓民の間に都会を望む気持ちが生まれてきて、自ら都会をつくり、都市に発展させていったのに対し、札幌の場合は、まず政府が北海道の開拓を決め、そのために都会(札幌)をつくり、それから開拓民を受け入れたという決定的な違いがある。

この時期、全国的には足尾銅山鉱毒事件のような産業型公害の発生もあったが、札幌において特筆すべきことはなく、「開拓」により自然が破壊されるという認識は薄く、都市と環境の調和が特に問題とはなっていなかった。

(2) 昭和20〜30年代

札幌を含めた北海道の歴史を一言でいうと、戦前は「開拓」または「拓殖」

 

 

 

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