地方議会が反対決議とかもあげられるのだろうと思います。そうした場合にも情報公開、透明性は前提でしよう。
私はここで一つだけ申しあげたいのですが、分権型社会をつくりあげていくためには、分権によって何を実現したいかということをお互いに確認しながら進んだ方がよいと思います。私は高齢社会の支え合いをつくるためには、分権型社会が合っていると思っているわけですが、もう少しそれを普遍化すると、地方と都市に関わらず高齢者も含めて一人ひとりの暮らしがかなり個別化している状況に対応するには、分権型社会がよいと思うんです。まだ、地方の方がつながりがあるかもしれませんが、都市は今後急激に高齢化しまして、しかも一人暮らし、二人暮らしがふえます。若い家庭においても、女も働き、男も働き、子どももアルバイトするというように、収入源が個別化します。家族の中でも生活時間がずれてわからないことがいっぱいでてきています。また、家庭も地域の中で孤立しています。暮らしが個別化している中で、企業は人々を消費者として個別に見ます。子どもも市場のターゲット、お年寄りも市場のターゲットです。ですから、バラバラになることをつなげる役目は、たぶん企業はあまりしないだろうと思います。行政の方は分権が進んで変わってくればいいですが、生活支援サービス提供に関しましても全体として、管理し、画一的に対応するということをしがちです。そうすると、個別化した社会で共同性をどう持つかということが市民の課題になります。高齢社会の支え合いには、暮らしがよくわかる身近なところで市民が参加して自分たちのことが決められる分権型社会が合っているわけですが、個別化していく人々がバラバラになっていく社会の中で共同性を持つには、やはり分権型社会の中で地元のことが地元で決められる、つまり顔の見える関係の中で支えあいに関わる政策がきめられる方が対応がきめ細かくできてよいわけです。それは、個別化した子どもにとっても高齢者にとっても女にとっても男にとってもそうだろうというふうに思っています。ですから個別化時代の共同という時代の要請にどう応えるのか、という戦略を分権論議の中に持つということが分権を身近にとらえる一つのきっかけになるのではないでしょうか。
それからもう一つ、中央、地方の関係を変えるには、先ほどから出ていますけれど、自治体も議会も市民も変わらなければなりません。自己改革を共同でやっていくその試みがどれだけできるだろうかということと、目指すものを確認しながら自己改革の共同の試みをしていきたいものだと思っている次第です。
篠崎
ありがとうございました。中原さんお願いします。
中原
どうしても言いたいことの第一は、地方に分権の受け皿となる能力がないという声が一部にあるということですね。こうした考えは、地方を知らない、地方で生活していない人の思い上がりという印象を強くしております。