市民参加という感覚を持った職員、首長は確かにいますが、あまり多くないと思います。どうしてもお上の体質が強くて「寄らしむべし、知らしむべからず」という感じはかなりあります。少なくとも私の知っている自治体でも、いろいろ物を言いに行くと、あなたたちだけが住民じゃないと言われたりするわけです。ですから書いていただいて本当に良かったと思っているんです。
能力があるかどうかということについてはこう考えます。中央の人が考える自治体に期待する能力は、自分たちが持つべきと考えている能力と同じものを想定しているのではないかと思うのですが、違う能力、例えば自治体に必要な生活をよく見て把握する能力とか、そういうことには気づいていないかもしれないと思います。だから、確かに自治体は発想して自立してやるということは慣れていないかもしれませんが、やればできます。中央とは違うやり方かもしれませんが。かつて女性は能力がないと言われていましたけれど、場を与えてもらえれば失敗しながらやっていけるということはわかってきているわけで、自治体と中央の関係も同じかなというふうに私は思っています。
さて本題ですが、高齢社会のことを考えると冒頭申し上げましたように、身近なところで政策が決められる分権が不可欠です。そして分権だから市民参加が重要だと思います。1つは、地域にバランスのとれた社会をつくるためです。2つは、意図しない、望まないサービス格差をうまないためです。今高齢者に対するサービスは、行政、シルバーサービス、市民団体といろいろな主体が担っています。住民参加型のサービスに登録している人たちは、登録ですけれども9万人ぐらい全国でいます。ところが産業と自治体政府、市民と、三者の理念が違うわけです。自治体の場合には、法律あるいは条例に基づいてサービスを公正に行います。シルバーサービスの場合には、貨幣と交換をして行います。お金を持っている人だけがサービスを使えます。市民参加型の場合には、その理念は「愛」だと言われています。愛って何かということですが、愛の反対は無関心だと言った人がいます。私もそうだと思います。自分の町に関心を持っている人、どうやって暮らしていこうかということに関心を持っている人が増えれば、いい地域社会ができるんじゃないかと思うのです。「公正性」と「貨幣との交換」と「愛」と三つあったほうが地域にはいいと思っています。現在の企業社会ですと、どうしても「貨幣との交換」のところが突出していますので、社会が経済効率一辺倒に歪んでいるんじゃないか、と私は考えているんですが、分権が進めば市民参加もすすみやすく、市民参加がすすめばバランスが取れた地域づくりにつながると思います。
島森さんは、分権が進めば格差が出てきますが、それは個性として考えてよいという言い方をなさいました。私も結論としてはそうなんですが、不当な格差は住民としては受け入れ難いものです。どうやって不当な格差、選ばない格差が生まれないようにするかです。選ばない違いと言ってもいいと思いますが。そのためには市民を力づける、エンパワーメントが大切で、市民に力をつけておくということがないと選ばない格差、違いがでてきてしまうだろうと私は考えています。