それから仕事の方法論として生活に根ざしたといいますか、現場の発想を私は大事にして仕事をしたいと思っています。あまりアカデミックなことができないということもあるんですけれども、現場の発想や事実と理論とを結び付けながら生活の豊かさを考えておりますので、仕事と地域の支え合いの活動、それぞれに還元したいと思いながら過ごしています。
今日は、現在の地方分権をめぐる状況をどう受け止めているのかという問いをいただきましたが、視点を絞って話をさせていただきます。地方分権の議論は昔からあるわけですけれども、本格化した一つの大きな理由は、高齢社会への対応だと思います。高齢者ひとりひとりの暮らしに対応するには、中央集権的な現金給付ではやっていけなくなり、現物給付、サービスを地域で提供する必要がでてきました。そうしますと、地域によって高齢化率も違うし、世代間の関係も違います。社会資源の充実度も違っているし、人の考え方も違います。それを全国画一的にやるのは無理じゃないかということと、国がそれだけ担えるような国際環境になくなっているということもあり、地方分権の議論が本格化したと思われます。そこで、高齢社会への対応という視点から話をさせていただきます。
高齢社会への対応といった時に、基礎自治体である区市町村の役割はとても大事です。それから地域の企業の果たす力も大きいと思います。ただ、それだけではダメで、高齢社会では市民が地域で支え合っていくための人間関係であるとか、私は支え合いの社会的価値と言っていますが、勝ち抜くということではなく、ともに生きていく、支え合っていくという社会的価値が重要です。しかしそれは行政や企業だけではつくれません。ですから、そこに住んでいる人たちが力を出さなければ、高齢社会は乗り切れないのではないだろうかと考えています。
私たちはささやかに取り組み始めたばかりですが、1980年代の終りから90年代にかけて、こういう活動は全国で無数に起こっています。お茶飲み会をしているところもあれば、出雲のことぶき圏のように制度のないところから痴呆性老人のグループホームをつくっているところもあります。職員の給与が月10万円を切るぐらいからはじめたと伺っていますが、必要だからと、みんながんばるわけです。それがだんだん制度になってきています。また、主婦が中心になり、助け合いグループをつくり、制度にのらないような助け合いをしています。