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弱小町村には、受け皿として分権を受け入れていく能力がないのではないかというお話をいただいておりまして、ここにきてまた、中央のモノサシをあてられるのかという一種寂しさを覚えております。大きくすればいいのかということで、決してそうではないと。個性のある地域社会を目指すということであれば、そこには大きな単位もあってもいいだろうし、小さな単位もあってもいいのではないかと、私は思っているわけです。小さくてもキラリと光る村であっていきたいなというふうに思っておりましたし、そういう意味では地方分権イコール市町村合併というふうになってもらっては困るというふうに今思っております。またその地方分権というものを大いにわれわれの手で勝ち取って元気を出していきたいなあというのが今の印象でございます。

 

篠崎

市町村合併、受け皿論のお話もありましたが、これについてまた後ほど詳しく論議をしていきたいというふうに思います。それでは小早川先生。

 

小早川

私は、大学で行政法というのを教えております。憲法も含めてですが、行政に関する法的なルールなり、物の考え方なりをその内容としているわけなんです。先ほど来、確か知事さんのごあいさつの中にもございましたが、今年は地方自治法50周年。ということは憲法50周年でもあるわけです。憲法と地方自治法は50年前に日本を民主主義化しようということでできたわけですが、その民主主義という場合に、先ほどの島森さんのお話にもあったんですけれども、地域にいろんな問題がある。それぞれの地域が自分のところを良くしたいと思う。しかし、地域ごとに全部その要求が通るわけではない。それについての調整なり決定なりは、誰かほかの人に預けましょうということでやってきたんじゃないかというご指摘がありましたが、それはかなりの程度その通りだろうと思いますね。こういう状態というのは決して民主主義の理念にかなったものではない。自分のことを自分で決めないというわけです。ですから、国と地方、中央対地域の関係でどうやって民主主義を実現していくかということが、戦後憲法のもとで最初から大きな問題だったわけです。そしてご承知の通り、戦後まもなくのころには、例えば、シャウプ使節団が日本中の地方を回って、その結果を勧告、報告書として出していますが、その中には国と地方の関係について事務の配分の考え方を示しておりまして、国よりは地方優先、地方の中では都道府県よりは市町村優先で、できるだけ行政は現地に近いところのレベルで責任を負って処理すべきである、ということを単純明快に提案しているわけですね。それをさらに具体化する形でその後、神戸勧告というようなものが政府レベルでつくられたりしております。しかし、そのような単純明快な地域民主主義の仕組みというのが、その後なかなか実現しない。事務配分の問題というのも繰り返し繰り返しいろいろな所でいろいろな人から提言や主張があって、しかしそれが、根本的なところではなかなか実現しないという状態がずっと続いていたわけです。

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