それはなぜかというと、やはり自分たちの財産をちゃんと見ていた。宮沢賢治をテーマにしていたんですけれども、自分たちの財産をきっちり見据えて、その財産を表現するのに非常にセンスが良かったんですね。見るも恥ずかしいようなものも中にはずいぶんあったんですけれども、こちらの県の広告は大変上手にできていたと思うんです。ただ、例えば、この県の広告を出すというような時も、やはり自治省が声をかけてバックアップしているんです。これはプロセスだから、それが決していけないとは思わないんですけれども、それだけではなくて、なぜ皆さんの新聞15段の広告が、見違えるように上手になったかと言いますと、東京の代理店が全部入ったんですね。
物によっては地方の代理店が手伝ったところもあるようですけど、何社かの東京の代理店がそれぞれ手伝っている。そういう意味では、物を表現したりとか、自分たちの言いたいことを言葉にしていくとか、自分たちが思っていることを表に出していく、という時の方法については、今はまた少し変わってきているかもしれませんけれども、その当時は、やはりそういういわゆる中央の力を借りないと、ちょっと無理かなという感じがあったんですね。もちろん、それは過渡期ですから、プロセスでそういう力を借りてもいいと思うんですけれども、自分たちの言葉を、本当に内発的な言葉を、具体的な方法を持って表現できるようになっていけば、これはしめたものだと思うんです。ある意味では、そういった才能は全部中央に集まっていくというような今までのシステムがあるわけですから、仕方がないことなんですけれども、そのあたりをどう上手く利用しながら、自分たちの中に才能を育てていくか、ということもやはりお考えいただきたいし、あれやこれや、地方分権というのは本当に時間がかかる、とりわけ人材育成という意味では時間がかかるんじゃないかと思うんです。
本当の地方分権は実は100年後になるかも知れない、という気もしていますけれども、皆さんは地方分権の、失礼な言い方ですけど過渡期だと自らに言い聞かせて、それを引き継げるだけの人材を、やはり地元にそれぞれつくっていただくということが、とても大事なことなんじゃないかと思うんです。ちょっと話が飛ぶんですが、今の受験体制というのは全国画一の子どもたちをつくるようなシステムになっていますね。ここで申し上げても、せんないことではあるんですが、どこかがこれを破っていかないと始まらないわけで、極端な人は、文部省を無くしてしまえという意見を言われていますが、それがすぐには無理なわけですから、地元の人材をどうつくっていくかというようなことに、非常に時間がかかることなんですけど、ぜひ取り組んでいただきたいなと思います。それは先の長い話のような感じもすると思うんですが、実は、根っこのところで地方分権とつながっているという気がします。