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自立と「格差?]

 

次に、税金の問題もありますが、これからは民間の力とか、あるいはボランティアの力とか、そういう人たちが作り出す財源みたいなものも、やはり必然的に必要になってくる時代になるだろうと思うんです。私たちは、公共的なものというのは、みんなお上という、どこか抽象的な存在がやってくれて、自分の懐は傷まないという気持ちがずっとあったと思うんです。本当は見えにくいだけで、自分たちの税金が使われているんですけどね。しかし、これからはそれだけじゃない、自分たちの町をよくしていこうと思った時には、民間の力、ボランティアといったこともその中に入ってこざるを得ない時代になってくるという気がするんです。
これは、私の友人のある人から聞いた話なんですが、例えば、アメリカなんかですと、ある町に公園を造ろうという時には、自分たちがここには公園が欲しいということを、それぞれ市民がお互いに言い合っ造っていく。その時にどうしても必要だと思えば、お互いがお金を出し合って造っていくこともやっているようなんですね。そういうことは日本人は今までほとんどしてこなかったと思うんです。企業などは、いろんな形で出資してきたとは思いますが、一人ひとりの市民もその中の一員だという形で参加できるんだろうか。それは実はなかなか厳しいんじゃないかと思う。
しかし、そういうことも求められる時代になる可能性があると思うんです。お金をそれぞれの地域々々で独自にやっていくということになれば、たぶん格差は起きてくるでしょう。今までは全国画一で、ほかと並ぶように、遅れないようにということが唯一の命題みたいな形でやってきたと思うんですが、県にもそれぞれの力がありますし、県単位じゃなくても市町村でも、それぞれに力の差がありますから、おそらく今まで以上に地域間の格差って広がるんじゃないかと思うんです。ただ、私はこれは仕方がないことだし、むしろ、それを積極的にいいことだと思うような発想を持ったほうがいいんじゃないかなという気がしています。
これを格差だと思うからよくないので、これは地域の個性だと思い直したほうがいいと思います。「遅れ」という言葉も、ある一つの価値観から見れば遅れになるわけなんですが、モノサシを変えてみれば決して遅れではなくて、逆に豊かさの質が違うと言えるわけです。ですから、インフラを万全に整備して、そのことからくる豊かさを求める人たちもいるかもしれない。だけれども、そうじゃない豊かさを求める人もいるかもしれない。

今度、車で中国の田舎を走ったんです。外側からちょっと見ただけですから本当のところは分からないといえば分からないんですが、確かに私たちから見れば生活レベルは低いように見えました。

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だけれども、風景はとっても豊かだったんですね。日本の大半が無くしてしまったような風景、つまり護岸工事をしていない美しい川の流れがあって、子どもたちがそこで遊んでいて、緑は大変豊かで。家もとっても古い、100年以上経っているような家なんですが、でも、そこで住んでいることが貧しい、と私たちに決められるだろうかという気がしたんです。私は秋田に生まれ東京の暮らしがもう長くなってしまったんですが、本当に東京の生活が豊かかなっていうふうに考えると、いろいろ考え込んでしまう部分もあります。先ほど知事さんが裏の控室で言ってらしたんですが、東京にずっと住んでおられたのが、こちらにいらして、東京にたまに夏なんか行くと空気がムッとして、なんで自分はこんなところに住んでいたんだろう、今の方がずっと豊かで、もう帰りたくないと思う、というようなことをおっしゃっていました。私はちょうど逆の生活をしているわけです。
狭いところに住んで、空気はよくない、夏は暑い、そうした生活をしていますけれど、ただ私の場合は、それはしょうがない、我慢しよう、そうじゃないもので私の欲しいものがたまたまそこにある。これはもう選択する時代なんだろうと思います。私もそのうち人生観が変わるかもしれないんですが、その人が求める豊かさの質というのは、本当にそれぞれ違うと思うんです。ですから、私たちが車の窓から見た中国の風景は、一見とっても貧しいんですが、それが本当に貧しいんだろうか、というふうにつくづく思ったんですね。それは単に私たちの価値観で物を見ているだけなんじゃないか、そのようなことも実は地方分権の中で考えていかざるを得ない問題じゃないか、と感じたりもいたしました。

 

 

 

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