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って、あくまでも山と対峙するという意識がかなり強かったんじゃないでしょうか。ですから、山なんかの場合ですと、どこどこのどのルートを登ったというときに「征服」という言い方を当時はしていたと思います。その「征服」という言葉の意味自体も非常に何かこう、相手があって、その相手に対して自分たちが打ち勝ったんだという意識が非常に強かったんじゃないかなと思います。

特に、谷川、穂高、剣という岩場ですと、人工登攀といって、ボルトやハーケンを山にどんどん打ちつけていくのが全く当たり前のことで、岩を傷つけているとか、岩に力を与えているとかということは全く意識していなかったと思います。それがいつのころからか、クリーンクライミングにしよう、岩にそういうふうな傷をつけるのをやめようというところからクライミングの考え方も変わってきたと思います。

日本の山からちょっと離れまして、ヒマラヤに関しても、ヨーロッパでも、アンデスでもいいんですけれども、登山隊のことをよく「エキスペディション」と言いますけれども、それはどう訳すかというと「遠征隊」と訳します。今は、我々の雑誌でもなるべく「遠征隊」という言い方はやめようと思っているのですが、遠征するということは、だれかそこの場所に行って、そこに何か打ち負かしてしまう、そういうような考え方が山の世界にもあったんじゃないかという気がします。

今もちょっとお話ししたように、それがある一時期を境にしながら、決してそうではないんだ、自然というのは有限であって、その有限な自然に我々は遊ばせてもらっているんだという意識に大分変わってきたと思います。

我々の雑誌でも、自然保護というのをとらえるときにどういう考え方をするかといいますと、一番考えやすいのは、山というのは我々がその場で遊ばせてもらっていると考え自然を破壊されるということはそういう場がなくなるということで極力反対していきたいというふうに考えました。今もちょっとお話ししているように、それは何も第三者の力だけじゃなくて、もしかしたら一番それに手を加えているのは山に登る人自身かもしれない。

そういうことで、1990年、ハットJという団体ができました。日本ヒマラヤ・アドベンチャー・トラストと言われていますけれども、女性で初めてエベレストに登りました田部井淳子さんという人が我々に声をかけまして、そういう団体が設立されました。そのときに一番思っていたのは、とにかく今このままでは自分たちがどんどん山を壊していっちゃうんじゃないか、少なくとももうそういうことはやめよう、なるべくあるがままの山にしなきゃいけない、自分たちが汚した山に関してはなるべくもとの状況に復元できるようにしていこうということで、清掃登山を始めたと思います。

今ちょっとスライドを用意しておりますので、そのスライドを見ていただければわかるのですが、日本の山というのは割とまだそれで済むと思います。ただ、世界の山、例えばエベレストという山に関して言ってみれば、7,950メートルぐらいのところにサウスコルという、ちょうど頂上に登っていく一番の最終キャンプを置くところがあります。きょう写真をお持ちできればよかったんですけれども、そこには今、何千本という酸素ボンベの空があります。

本来でしたら、自分たちで上げたものは自分たちでおろさなければいけないのに、そういう人たちがそこに平気で捨ててきちゃう。それは、自分たちの命がかかっておろせなかったんだったらやむを得ないと思うんですけれども、余裕がある人たちでもそういうような状況で捨ててきちゃう。

 

 

 

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