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られたかということを、大学ノート3冊に書き留めました。たとえば――無駄話ばかりして終わりそうですね、あと10分。(笑)もっと聞きたかったら、この本を買ってやってください。本屋さんが来ていますから。(笑)めいっぽいサインしますから。この本のことを話そうと思ったのに、まだなにも話していない。何十冊かまだあるそうですから、買ってやってください。

ぼくは中学2年のとき、7月26日、リュックサックを背負って、毛布と、そのころ絵を描いていましたから絵の道具と、下着と歯ブラシくらいをもって、暑いさなか、「いってきます」。そうしたら、親父がブルブル震えながら――男ですから泣けません。だけど、ぼくも体験しているけれど、息子が中学2年、13歳で旅に出るというのは、泣けてきてたまらないですね。けなげにも出ていくわけですから。「がんばれ、がんばれ」、バカの一つ覚えのように親父がいっていた。おふくろは、「がんばるのよ」といっているけれど、そのうち、女ですから声を出して泣き出して、「いやになったら帰ってきていいのよ」といったら、親父が、「だめだ、がんばれ」。そして、うしろでハゲ頭のおじいちゃんが、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といってニタニタしている。そうすると、おばあちゃんが――うちはだいたい夫婦はいつも腕を組んでいる夫婦なのですが、明治生まれのじいさん、ばあさんだけど、いつもこうして、小柄なおばあちゃんがおじいちゃんの顔を見て、「だいじょうぶよね、おじいちゃん」、「だいじょうぶ。いつでもだいじょうぶだった。だいじょうぶ」といって、それは彼は何人も送り出しているわけですから知っている。そうすると、十兵衛が――十兵衛というのは、柳生十兵衛といううちのイヌなのですけれどね。(笑)代々うちは、イヌの名前を十兵衛とつけているのです。十兵衛が尻尾を振って、夏ですからハァハァとやりながら、片目だけ開けてぼくを見送っている。

そのとき、どんなにおいがしたか、どんな花が咲いていたか、どんな風が吹いていたか。そのとき見える風景。里山、田んぼ、そして小川、つまり先人たちがみんな育んできた風景です。日本の自然というのは、もともとあった自然などというのはこれっぽっちもありません。日本人が、日本の私たちの先輩たちが、田んぼをつくるために、お米をいただくために、森をつくり、田んぼをつくり、小川をつくり、そうやって日本中すみずみまで人間が手を入れてきたのが、日本の自然です。その風景を全部書いて、こんなにおいがした、こんなふうだったと。

そして、1か月。そのころ、ヒゲが生えだして、無精ヒゲを生やして帰ってきたときに、後にも先にも1回きり、おじいちゃんがあのでかい身体でギューッとぼくを抱きしめて、背骨が折れるのではないかと思うくらい抱きしめて、「顔を見せろ」。ぼくの顔を見て、「うん、いい顔になった」といって褒めてくれたとかね。

あと、女房は女房で、「小学校4年生のときにこんなことがあったの」。ぼくは一所懸命速記して、書いている。そのころ、むかしの国鉄に勤めていたお父さんが、忙しくて、いまでもサラリーマンの常ですが、日曜日に遊んでもらったことがない。どうしても遊んでもらいたかった。それで、わざとお父さんに見えるようにして悪さをした、いたずらをした。そうしたら、それからどこかに出かけるはずのお父さんがバーッと飛んできて、「この―っ」といって、ほっぺたを殴られそうになって、お父さんが震えながら、グルッと振り向かせて、ズルッとパンツを下ろして、お尻を叩いた。たくさん叩いた。そうしたら、痛くて我慢できなくなったときに、ちょうどそのときにおばあちゃんが、「キヨシ、もういいだろう」といって――キヨシというのは、その親父の名前ですが。そして女房を抱きしめて、「いい子だ、いい子だ」といってお尻をなでてくれた。でも、なでられているけれども、痛くてしようがなかったとかね。

そのとき、こんな花が咲いていた、こんな鳥が鳴いていた、こんな風が吹いていた。その風景。どう教えてくれたかと同時に、そのときどういう風景であったか。つまり、人の心に、琴線にグワーッとふれていく、チャンネルが合っていったときは、どういう風景だったのかということね。

いま考えてみると、大東京の真ん中で、冷房の効いたなかでグダグダと生きているような風景ではない。もっ

 

 

 

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