ほとんどが、子どもたちはまだまだ古い脳がいきいきとしている。だけど、おとなになるにしたがって、その古い脳がだんだん圧迫されていく。新しい脳に肥大化されてね。そして、いまのような森、いまのような川、いまのような海、いまのようなまち、そしていまのような私たちの心をつくってしまったというのが、現代かな。ちょっとこむずかしい話でごめんね。話を変えましょう。
つまり、こうやって木に抱っこしたときというのは、その古い脳が大いなる生きものとチャンネルが合うのですね。人間よりもはるかに大きな生きもの、大いなる生きもの、それは樹木です。きみはいくら生きても100年しか生きられない。でも、来月は屋久島から1日中BSで中継しますが、屋久島に生きているスギたちは何千年。何百年なんて、ざらだ。そんな生きものがいるのです。それは、樹木です。そいつにこうやって抱っこすると、生きものとして通じるものがあるわけだよ。ぼくら人間と、大いなる生きもの樹木とね。そうすると、ほんとうの自分と話をすることができる。こむずかしい話でごめんね。でも、こむずかしい話のわりに、いま少年、少女たちがみんなギラギラして聞いてくれているので、感謝しています。
そういうことを覚えました。それ以来、たとえば、どの大学に入ろうか。この大学に入ったほうがのちのち有利だなと、そんな最低の下のことは考えなくなった。なにを勉強したいか。こういうことを勉強したいからこの大学、そしてこの教授のところに行くのだ。この人と結婚しようか。この人と結婚したほうがより有利な人生をおくれるからこの人と結婚しようというものではない。この人といつも同じ、その人の息を感じていたい、その人のにおいをかいでいたい、その人の肌をいつもさわっていたい。恋というのはそういうものだ。いつもその人と裸で抱き合っていたい、できたらその人にぼくの子どもを産んでほしい、いつも同じものを食べて、人に見られていなければいつもキスをしていたい。結婚というのはそういうことだ。
そこに立ち返れるかどうか。そういうときに、ぼくはいつも八ヶ岳に行ってその木たちと相談してきました。
なぜ八ヶ岳に住むようになったか。あと、ほとんど時間がなくなってきてしまいましたが、ここからが肝心な話なのですが。また来ます。(笑)でも、まだ15分あるから急いで話します。
そうやって結婚して、かみさんのお腹がどんどん大きくなってきました。かみさんのお腹が、あと何日で生まれるという状態になってきたら、ますますぼくは育児ノイローゼになっていました。まだ子どもも生まれていないのに、なぜ育児ノイローゼになるのだ。(笑)ぼくは活字人間で、ご飯を食べなくても活字を食っていれば生きていられるくらい、活字ばかりむさぼっていた男で――いまでもそうですが。ご多分にもれず、育児書というのを買い込みましてね。あったでしよう、みなさんも全部読んでいる。子どもをどうやって育てたらいいかという本があるんだよ。これくらい買い込んだ。そのなかに、外国の先生方のお書きになった本もたくさんありました。
いま考えてみると、あんなに悩むことはなかったのですけれどね。子育ての大家とか、育児書を書いてベストセラーになっているお宅――育児書とはちょっとちがうかな、子育てという言葉でいいましょうか。そういう先生方は何人か知っていますが、子育ての大家の家というのは、だいたいにおいて親子関係がかなり悪いですね。(笑)ひどいのは、刑務所に入っている人もいるしね。もっというと、夫婦についてわかったようなことを書いている先生たちがいるでしょう。夫婦はいかにあるべきかという。そのお宅も何人か知っていますが、だいたい夫婦仲は悪いね。(笑)ことほどさように、夫婦とか親子というのは、まったくちがうわけだよね。一般論なんて、ないわけだよ。人にあれこれいわれる筋合いはなにもないというのが、親子であり、夫婦であるとぼくは思っている。もう一つは、友情。これ以上大事なものはないと思うけれども、それについて一般論とかグダグダいうやつというのは最低の下だと、このごろ思うのですけれどね。(笑)でも、そのころはまったくわからない。
そのころの外国の先生方で、間違えたらごめんなさい、スポック博士の育児書とか、いろいろいまでもあるね。いま、どのように書いてあるかわからないけれど。「子どもというのは、独立心を養わせるために、できるだけ