「どうやったら木は話してくれるんですか」と聞くと、「木に抱っこしなさい」。
これはわが家の家訓ではないのですが、教えとして、とても大事な教えがもう一つあります。「自分の木を決めなさい」。ぼくの木と決めるわけですよ。私は霞ヶ浦のそばで、小さな村で生まれ育ったのですが、そこに鎮守の森があります。きっとみなさんのご近所にもあると思う。鎮守の森とか、ちょっと静かなところに大きな木があります。これは私の木、これはぼくの木とみんな決めていた。
だからぼくは、旅行に行ったときもそうですよ。どんなところに旅行に行っても、名所旧跡を見るのも旅行として楽しみですが、そうではない。そこにある大きな木、たくさんの木があります、ぼくの木。べつに不動産屋ではないので、買う必要はない。ただ、ぼくの木と決めてくる。いろいろな種類の木があります。たとえば、先ほどいいましたマダガスカルに行ったときは、このステージの半分くらいある大きな、直径5メートルくらいあるようなバオバブの木を、ぼくの木と決めてきました。次に行くときは、だれよりも先にそいつに会いにいくつもりです。だからぼくは、旅をしたとき、二度、三度、四度、かならず何度も同じところに行くのはなぜかというと、その木に会いにいくのですね。
ぜひみなさんも、自分の木を、ないしは花園を日本中に、世界各地にみつけると、とてもいいと思います。そうすると、そこの地域の風土であったり、歴史であったり、人びとの営み、生きものたちのありよう、そういうものがとてもよく実感できるような気がします。人間がつくったものだけを見ていたのでは、あまり豊かな旅とはいえないのではないかな。そういうことを、親から――ぼくがいっているのではないのですよ。ぼくがいうと、偉そうに、たいへんな論理だと思われるかもしれませんが、これは先人たちがいっている、うちのご先祖さんたちがそういっているわけです。
だから、ことほどさように、精神生活って、むかしの人ってすごかったですね。そういうことを学びながら……。そして、「自分の木に相談しなさい」、「どうやって相談するのか」、「抱っこしなさい」というのですね。
これは去年でしたか、NHKの――NHKはぼくを定点観測をしていますので、この話もNHKの夜の7時のニュースでやりましたので、ご覧になった方はまたかとお思いでしょうが。こうやるのです。こうやって抱っこして、いくら抱っこしても、木はなにも答えてくれない。こうやって抱っこして、耳をくっつけてこうやるのだけれども、なにも答えてくれないけれども、八ヶ岳に行って自分の木をいっぱいみつけました。そのなかの、とくにテンカラ、天然カラマツという――カラマツ林のカラマツとテンカラとはちがいます。つまり、人間に栽培された木と自然に生えているカラマツ、同じ種類であってもまったく性質がちがいます。この話もしたい、だけど時間がない。(笑)
毎日寂しくて悲しくてしようがない、毎日自分の木に抱っこして泣いていました。人間がいないのだから。ある日、こうやって抱っこしたのではなくて、泣き疲れてこうやって抱っこした。かかととお尻と後頭部をくっつけて、こうやって泣いていたら、木が話してくれました。これはオカルトでもなんでもない、麻原彰晃でもなんでもない。ぼくは、科学番組をつくっている男として、これはほんとうの話です。
きょうは天気もいいし、ぜひ帰りにやってみてください。だけど、きようやったからといって、きょう答えてくれるなんて、そんな甘くはない。(笑)そういう修行をしてみてください。小さいうちから自分の木を決める、そしてこうやって抱っこする。そうすると、自分のクラスメートの、「あの人たちに比べて私はこうだ」とか、「あの人に比べて私のほうが美人よ」とか、そんなことを考えなくていい。自分がとてもいとおしく、大事になってくる。こうやって、やるのです。
それは、あえて科学者のはしくれとして一言いいますと、2年くらい前になりますか、NHKのスペシヤルで「人体」という番組を、私どものグループでつくりました。そのなかで、「脳と心」という番組があったのを、き