の亭主に比べれば、うちの亭主はね」などということをいう人はいないと思うけれども、でもちょっと疲れたりすると、そんなこともあるよね。子どものときなんて、もっとあります。「あいつに比べて、おれはな」、「あの人たちに比べて、この人たちはな」、「あそこの家に比べて、私の家はね」とか、ありますね。人と人を比較する。
このときは恐かったです。恐いじいさんがいてね。どれくらい恐いかというと、うちは道場がいくつもあって剣道を教えている家だったのですが、剣道8段の教師。恐いじいさんでね。じいさんがヤーッと気合いをかけると、庭で遊んでいたニワトリが5、6羽ひっくり返るのですよ。(笑)ほんとうに。役者は嘘をつくと思うでしょうが、そうではない。(笑)ヤーッと気合いをかけると、電線にとまっていたスズメが2、3メートル落っこちるのですよ。むかし、そういうこわいじいさん、ばあさんがいたでしょう。ばあさんはもっと恐かった。じいさんがちょっと悪さをすると、「おじいちゃん!」というと、「ハイハイッ」といってね。ばあちゃんには頭が上がらなかったじいさんですけれどね。よほど若いときに悪いことをしたのでしょうね。(笑)
そのじいさんに――ほんとうに恐かった。生きものらしい人間でしたね。ぼくがよく酔っぱらうと、これがだいたいぼくの基準なのですが、「ふざけるな、人間だってかつては生きものだったんだ」というと、子どもたちに、「そろそろ酔っぱらったから寝ましょう」といわれるのだけれど。その恐いじいさんに、「あいつに比べてこれはね」と話したとたんに、襟首をつかまれましてね。ドドドッといちばん――古い大きな家です。むかしありましたよね、大きな家。いちばん奥の部屋に連れていかれた。
それは、うちのおふくろの部屋でした。そこに鏡台があってね。むかしの鏡台というのは、パッタンパッタンして、鏡台の前にかならず布切れがかかっていたよね。いまでもあると思います。あの布切れをバンと上げると、ぼくの顔が映ります。しばらく襟首をつかまれて、ギューッと見せた。ぼくはいやだから、またきたと目をつぶっていると、目をギューッと開けられて、しようがない、日を開けて自分の顔とにらめっこするわけですね。そうすると、しばらく自分の顔を見せたうえで、じいさんが、ぼくの顔の上に、「下品、下品、下品」と3回書く。恐かったよ。だからぼくは、自分の顔がよほど下品だと思ってね。だから、しばらく自分で、テレビをやっている仕事をやりながら、あまり自分のテレビを見るのが好きではなくてね。最近やっと、平静な気持ちで自分の顔を見られるようになって、最近わりと上品になったでしょう、ぼくの顔も。(笑)上品というか、ちょっとだれているといっか。
ほんとうに、人と人を比較したとき、恐かったです。「下品の下だ、おまえは。こういう顔を下品というんだ。人と人を比較する。なんて下品なやつだ」ということをいわれました。
みなさん、どうでしょう。私たちはいま、ちょっと安穏な生活をして、やや精神がだれてくると、ついつい人と人を比較しながら生きている自分に気がつくことがあります。ぼくはこの歳になって、やはりそういうことがあります。たとえばテレビに出ていても、「こういうグループに比べて、こういうグループはね」とか、「この国の人たちに比べて、この人たちは」と、ついつい比較してしまいます。これは下品ですね。そういうことを、じいさんに教わった。
しかし、話としてはそれはおもしろい話だけど、現実に人と人を比較しないでものを考えるというのは、たいへんですね。たとえば、小さい子どもたち。「あの人に比べて、ぼくはこれだけ勉強ができるから」、「あの人に比べて、ぼくはこうだから」、「ここと比べてこうだから」、「このグループにいるから、なんとかだから」、いつもたえず人と比較しながら、自分のスタンディング・ポジジョン、自分の立っているポジションを確認しながらものを考えているのが、いまの風景ですね。
「自分のほんとうに好きなもの、自分がほんとうに祈り、そういうものはどうやったらわかるのですか」と、じいさんに聞いたことがあります。そうしたら、むかしの人はうまいことをいったもので、「木に相談しなさい」。