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ったあと、木をいただくのですね。非常に日本人に近い、自然に対する恐れ、そんなことをやったらバチがあたるよという、非常に近いものを感じながら、ぼくはジュンガル盆地であり、天山山脈であり、カラハリ砂漠であり、マダガスカルであり、南半球いろいろなところ、世界各地を歩きながらやっているのですが。

世界のそういうことを、いろいろあるということを理解できる先進国はどこかとなったときに、こちらはびっくりしましたが、私たち日本人が指名されたのですね。いま、世界の共通語はエコロジー、環境です。地球をどうしたらいいか、どのような地球とのおつきあいをしたらいいかということが、いちばんのテーマです。そのときに求められるのは、私たち、みなさんもいっしょ、日本人のもっている、そういう大いなるものに対する恐れということなのですね。そして、それぞれに神宿る、八百万(やおよろず)の神といいますか、そんなことをしたらバチがあたるよと。じつはこれが、いま世界のいちばん大原点なのですね。その心をもってつきあう。

そのときに、私は座長席に座ったときにどういうことをいうかといいますと、たとえばここにいま300何十人の方がいらっしゃいます。だいたいこれくらいのメンバーでやるのですけれどね。そのときに、このあいだもそういうことがありました。「砂漠に住むアーサーくん」――これはカラハリ砂漠に住んでいる男ですが、「きみはどういう風景のなかで死んでいきたいですか」と。これこれこういう風景のなかで死んでいきたいと。そして、イヌイットの人たち、かつてエスキモーといいました、「あなたはどういう風景のなかで死んでいきたいですか」。そして、天山山脈のふもとの新彊ウイグル地区の人たち、「あなたはどういう風景のなかで死んでいきたいですか」。そして、アメリカの人たち、「どういう風景のなかで死んでいきたいですか」。それぞれに、だいたい5人くらいに聞くのですね。これが、会議の始まりです。

そうすると、それぞれが自分のふるさとを語るわけです。そのときに、たとえば、「カラハリ砂漠のアーサーくん、きみはどういう風景のなかで死んでいきたいですか」。「私たちボツワナ人はですね」と国の名前をいったときに、「国の名前はいわないでくれ。ボツワナのどこだい?」、「オカバンゴのこういうところです」。「では、その話をしなさい」ということをいうわけですね。

「アメリカの何々くん」、「アメリカとしてはね、このような風景で死んでいきたい」、「アメリカは関係ない。きみはどこで死んでいきたいのだ。アメリカのどういうところなのだ」と。そして、ジャクソンホール、かつてそこでビーバーを捕っていたジャクソンという男の、そのような生活をしながら、周りにこういう風景があって、こういうことがあってと、そういう話をしてくださいと。国の名前はいっさいいわないでくださいと。

これも、ぜひみなさん覚えておいてください。世界に出ていって、これからの共通語はエコロジーです。エコロジー、地球環境を語るときに、国の名前をいわないこと。たとえば、福知山の話をすること。そして、みなさんどこからおいででしょうか。福知山ないしはご近所からおいでの方が多いと思います。京都市からおいでの方も多いと思いますが。自分がイメージするところ、自分が大好きなところをどれだけ具体的に語れるか。これが、国際的な感覚ということですね。

たとえば、このあいだ、イギリスのティム・リバーセッジという男と、ボツワナ共和国でずっと撮影をしてきました。ぼくらも疲れてくると、「日本はね」、「イギリスはね」、「日本はね」、「イギリスはね」、「日本はね」とだんだん喧嘩腰になってくるのですね。これはだめです。そうではなくて、「八ヶ岳はね、標高1,350メートルはね」、「由良川の上流のこれこれこういうような里山はね」、そこを語ること。これが、ぼくがいままで20何年ずっと科学番組をやり、八ヶ岳で生活をし、世界各地を歩いていた、いまの世界に行ったときのものの語り方ということです。これは間違いなくそうだと思う。

ちよっと大きな話から始まってしまいましたが、今度は小さな話を、ぼく自身の話をします。なぜそのような考えにいたったかということ。じつはぼくは、いま1年の半分は八ヶ岳に住んでいます。そして、あとの半分の

 

 

 

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