ク」という、あの舞台になったジャクソンホールというところで国際会議が開かれます。
つい3年くらい前までは、その国際会議の座長というのは、だいたいがイギリスのBBC放送――ご存じですね。日本でいうとNHKのような、そういう放送局があるのですが。そこに、デビッド・アッテンボローというプロデューサーがいるのです。プロデューサーというか、私がやっている役割のようなことをやっていらっしゃる人。だいたいそのメンバーが座長をやっていた。ないしは、アメリカにいきますと、大きなそういうことの専門の会社というか、ある種のボランティアで成り立っているのですが、ナシヨナル・ジオグラフィックという会社があるのです。そういう雑誌も出ていますし、ご覧になっている方が多いかなと思いますが。だいたいそのように、白人の方たち、ヨーロッパの人たちがリードして、地球とか、環境とか、生きものとか、そのようなものをリードしてきました。
でも、ここ数年前から、それでは世界中が納得しなくなったのですね。ようするに、イギリスの論理、アメリカの論理ではにっちもさっちも、いま環境問題というのはどうしようもなくなってきた。
去年1年間、私はずっと南半球を歩いていました。みなさんに見ていただいた番組としては、カラハリ砂漠。見ていただけましたよね。砂漠がとつぜん水浸しになって、そこにあらゆる生きものたちが集まってきて、そこでまさに生きものの饗宴があって、それがあっという間にまた水が引いていって、野火に全部おおわれて、カラハリ砂漠がまた砂漠になる。そして、1年たつと、またどこからともなく水があふれてくるというような話。あれはじつは、その国からの要請があって行ったのです。その前は、マダガスカルから中継しました。白いサルが、シファカというのがいまして、横っ飛びに飛ぶやつ。あの中継をしに行きました。その前は、オーストラリアのレインフォレストからというように、ずっと南半球を歩いてきました。そして、今年に入ってからは、ジュンガル盆地であり、天山山脈からみなさん見ていただけたと思います。
そのように、世界の僻地をいま歩いているのです。そうしますと、もう西洋の論理ではどうしようもない、だれもうなずいてくれない時代に、いま世界中はなっています。わかりますね。だいたい西洋の論理というのは、いうなれば十字軍の論理です。一度、全部征伐して、それから管理しやすいようにして、管理していく。地球上でいちばん偉いのは人間なのだという、じつにわかりやすい、じつに短絡的な論理というものがありました。科学というものも、たとえばここにシファカがいるとします。そうすると、シファカの右から、左から、上から、下から、ほんとうのお尻の穴のなかまで、解剖学的にその生きものを撮影する。非常に荒っぽい言い方ですが。そのような撮影のしかた。
しかし、私たち日本人はどうでしよう。そんなことをしたら、バチがあたるような気がしませんか。この生きものを、そんなふうに解剖学的にあまりにもやってしまうと……。そうではない、ぼくらはシファカにも、ホタルにも、川にも、海にも、山にも、岩にも、みんな神宿る。みんなそれぞれに恐れを感じながら自然とつきあってきた。少なくともそういういう伝統がありますね。日本人全部にあります。でも、それは世界ではきわめてめずらしいのですね。
それで、われわれに非常に近い感覚をもった――あれはこのあいだモンゴル、中国の奥地から放送しました。新彊ウイグル地区から、砂漠にビーバーがいる話をやりましたが、みなさん見ていただけましたかね。砂漠のなかで、川があって、そこにビーバーがいる。そして、そこに住んでいるカザフスタンの人たちはどのようにして自然とつきあっているか。つまり、それでなくても数少ない木を、どうやって手に入れるか。そうしたら、ビーバーの住む川の両脇に、川辺林(かへんりん)、ポプラのような木が――ポプラが圧倒的多数なのですが、生えています。ご覧になった方は多いですよね。そうすると、ぜったいにその木を切らないのですね。では、どうやって薪を手に入れるかというと、大きな木を倒して、ビーバーが枝先や梢をかじって、全部自分の巣にもって帰