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うになって結婚してしまったという話をしました。

これが、全国からたくさんのハガキ、お手紙、ファックスをいただきました。それはどういうことかというと、死んでいくというと心中でもするような話に聞こえる――端から聞くと、若い男と女が死んでいく話ばかりしていたら、こいつら心中するのかなという感じですが、そんなことではない。ぼくにとっては最高の愛の言葉で、きみと一瞬一瞬を、毎日毎日を、毎年毎年を、満ち満ちたときをいっしょにすごしたい。つまり、においも、風も、風景も、喜びも、悲しみも、感動も、みんなきみといっしょに共有して、まっとうして、最後は手をつないで死んでいきたいと。こういう話で、これはけっこう口説き文句としてはいいでしょう。(笑)そして最後には、こういう風景のなかで死んでいきたい。まっとうして、安らいで、ほんとうによかったねといって、死んでいきたいんだよねという話をしました。

尊敬する福知山なので、初めてその風景をいいますと、こういう風景なのです。大きい窓がずっとあって、その窓の向こうに、いままで育み育まれてきた雑木(ぞうき)が――このあたりでは雑木林(ぞうきばやし)というでしようか、雑木林(ざつぼくりん)というでしょうか、薪炭林(しんたんりん)というでしょうか。ようするに、私のいっている雑木というのは、いろいろな種類の木のある林のことです。そして、とても人間と仲のいい、かつてあったあの里山、雑木林なのです。

かなり翻訳がむずかしい話をするけれど、だいじょうぶね。(笑)

それらが、ぼくが植えたり、育んだり、育まれたりした木が、窓の外に見えるわけですよ。そして、ぼくとかみさんは手をつないでいるわけね。もう死ぬんですよ。(笑)いや、いつも毎晩寝るときは手をつないでいるのだけど。いやいや、そんな話はどうでもいいか。(笑)なんか、へんな話から始まってしまいましたが。

そうすると、その木がみんな、かみさんとぼくを覗いている。みなさん、そういう経験はありませんか。ぼくは最近、色紙に書く文字というのは、「樹を見ている、樹も見ている」と書くのですが。たくさんの木を植えて、そしてそれと遊んで、そしてそれらにぼくらが育まれて、20何年やってきますと、そういう気分ってとてもあるのですね。それらの木がみんな、ぼくらを見ている。じっと見ている。心配そうに見ている。

そうすると、野太い息子たちの声が聞こえてくる。そして、息子たちの奥さんであろう、ちょっと色っぽい声が聞こえてくる。姿は見えないのですよ。姿なんてどうでもいい。そうすると、ああ、いいなと思っていると、すごい元気な孫の声があちらからもこちらからも、木のあいだから聞こえてくる。いい風景でしょう。ふと耳をすまして、かみさんに、「おい」というと、赤ん坊の声が聞こえてくる。ひ孫だ。ぼくは、それだけ長生きするつもりでいますからね。(笑)欲張りの権化のようなものですが。その声も聞こえてくる。そして、いままで顔なじみのリスだとか、島たちだとか、虫たちも、みんな覗いている。そして、とてもいい気持ちになって、「せーの」でいっしよに死んでいく。そううまくいけばいいですけれどね。でも、いいでしょう。

ちょっとシビアな話をすれば、現代というのは一言でいって、死んでいくのがとても恐い時代だとぼくは思います。日本人の長い歴史のなかで、こんなに死んでいくのが恐い時代というのは、いままでなかったのではないかなと思うくらい、いろいろなことを感じます。つまり、なぜ死んでいくのが恐いかというと、大いなるものに見守られて死んでいくという実感がなかなかもてないからではないかと思うのですね。たとえば、このあいだ、うちの親父が死にましたが、そのときも、残念ながら医療機器に見守られて死んでいきました。ぼくら、いっぱいいたのですが、そばにいることもできず……。

大いなるものに見守られていく。かつて、ぼくは、身内が死んでいくのを見るのが好きでね。へんな少年でした。(笑)じいさんが死んでいくときもずっといっしょにいたし、ばあさんが死んでいくときもずっといっしよにいて、ずっといつも手を握っていたし、よそのうちのじいさんが死ぬときも、わざわざ行ってじっと手を握っ

 

 

 

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