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小江戸のまち

佐原は、徳川家康による江戸開府から始まった利根川改修工事により、利根川が全国各地からの江戸ヘの物資の輸送路として利用されて以来、舟運の拠点をなし、江戸と在地及びその後背地との間の商品経済の核となり、また人々の交流の核となり、おのずと江戸町人文化を身に付けたことにより、幕末から文明開化の明治にかけて経済力・文化の高さ・政治力などにより新時代への多くの施策・人材などを輩出し地方経済・文化の中心地として発展してきた「小江戸」と呼ばれるまちです。

江戸との舟運で栄えたきた関東周辺のまちとして、栃木市や川越市があります。今後、3市が共同で小江戸という共通の特性を生かしたまちづくりを展開することを理念に、平成8年11月に栃木市で第1回「小江戸サミット」を開催し、平成9年10月には第2回目が川越市で行われました。平成10年には本市で小江戸という共通したテーマをもってイベントを開催します。

 

伝統的な町並みによるまちづくり

利根川舟運で栄えた頃、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」と里謡に唄われた、小江戸の面影が市内を流れる利根川支流の小野川沿いに残っています。江戸・明治期の町家、商家が佇まい、現代生活の中で息づいています。

これらの町並みは、平成8年12月10日に関東地方で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に全国で43番目の指定を受けました。指定を受けるまでの間、町並み保存について多くの紆余曲折がありました。

国において「伝統的建造物群保存地区調査」が始まった初年度の昭和49年に、佐原の町並み調査が文化庁により行われています。このことは、佐原の町並みが全国的にみて一級品であるということが国において認識されていたことを示しています。しかし、平成8年に指定を受けるまでに実に22年という長い歳月がかかったことが町並み保存の難しさを裏付けているといえます。

町並み保存指定が、個人の土地や家屋などの資産に関わる問題であり、伝統的な町並みを生かしたまちづくりという方向性が必ずしも地元の合意となっていなかったことが理由としてあげられます。

このような環境の中で住民の合意を得て指定に結び付いた過程の一端として、昭和62年に始まったふるさと創生事業があげられます。市民アンケート調査が行われ、「地域のイメージづくりに町並みに着目すべされ、この声を受けて市役所内部に「ふるさと佐原振興事業化推進委員会」が設置され、その具体策として若手職員による「地域づくり研究会」が設けられました。歴史的建造物の保存に本腰を入れて取り組もうという機運が市民の間にも市役所の中にも漲られるようになったことが要因といえます。

また、平成2年に、国土庁の地方振興アドバイザーとして3人のまちづくりの専門家を佐原に派遣していただき、受け皿として「まちづくりを語り合う場」の設置も大きく影響したといえます。第1回目の派遣の中でアドバイザーより住民が組織として町並みに取り組むことが必要と指摘を受け、メンバー全員の賛同により2回目の派遣日である平成3年1月17日に「佐原の町並みを考える会」が発足しました。この会の名称には、「町並み保存」という言葉はあえて用いていません。最初から町並みを保存するという点を前面に押し出す

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