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川筋そのものを変えたこの水害で、60名の尊い人命が奪われ、流失倒壊家屋は全世帯の30%に当たる300戸以上にも及んだのだった。水運の利に富んだ地は同時に、水害との闘いの歴史でもあったのである。甲武信ヶ岳に源を発する笛吹川や御坂山系からの金川の合流域にあるため、町内には14の一級河川が貫流していて、山梨県水害史によると安土桃山時代からでも50回を数える被害を蒙っている。先人はその度に水害との問いに立ち上がり、不屈の精神を養ってきたのである。

山梨県のほぼ中央に位置し県都・甲府市に隣接する我が町は、幾筋もの清流と豊かな緑、秀鹿な連山が織りなす自然に満ちている。また、盆地特有の昼夜寒暖差が厳しい気象、氾濫がもたらした砂礫土壌などによって、果樹栽培の適地を形成している。このため、ブドウ、モモ、スモモ、カキ、リンゴなどの果樹園が郊外に広がり、取り囲む山々と調和している。近年は加温栽培による果物の早場地帯として県内外に知られ、ランなどの花卉園芸も盛んである。

■ リゾート都市を目指す

現在の石和町にとって特筆すべき点は、1961年(昭和36)の温泉湧出だろう。幾度となく水害に苦しめられたこの地にとって、まさに天与の恵みであり、今世紀を半ばとして一大変貌を遂げる歴史的な幕開けであった。果樹園の中の泉源から噴出した高温多量(セ氏60度、毎分1,200リットル)の温泉は付近の小川に流れ込み、ほどよい湯加減となったため、にわか湯治客が近郷から押し寄せたのである。ブドウ棚やカキの木に衣類を掛け、弁当を広げたリー献傾ける様子は『青空温泉』の出現としてマスコミで紹介され、石和の名は一躍、全国にとどろいたのだった。これがホテル・旅館など100軒、訪れる観光客は年間340万人を越える石和温泉郷の誕生だったのである。

しかしながら、温泉街を形づくる段階が極めて急激であったため、観光資源や観光施設の不充実、道路網の未整備、無秩序な大手県外資本の算入等々、マクロ的な展望に立脚した施策が欠如していた感は否めなかった。また、歓楽型観光地のイメージが前面に押し出されていたので、家族連れは少なく、年間を通しての誘客活動に苦慮していた。

このため、1988年には山梨県によって景観ガイドプランが提示され、1990年に観光振興計画を策定したのである。この計画は観光面からの町づくりのマスタープランであり、歓楽型温泉地からリゾート都市に変貌することを目指した。具体的には町内各地に、温泉観光地ゾーン、山麓自然ゾーン、金川流域自然ゾーン、田園型リゾートゾーンなどを設定し、遊歩道ネットワークづくりを目的としたものだった。

リゾート都市とは全域が公園であり、博物館であり、夢の世界である。四季を通じて花や緑、流れる清水の景色が楽しめる自然と調和した世界でもある。そんな空間が着々と具現化されつつある。ふるさとづくり特別対策事業によって完成した笛吹川の石と水をモチーフとする駅前公園、地域づくり推進事業による清流公園などと、計画に基づいて造られ、住民憩いの場となっている。21世紀の石和は主要な道路は石畳となっており、落棄広葉樹でおおわれた都市公園、やさしい瀬音の河川公園など、石と水をイメージしたリゾート都市になっていることだろう。

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