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4.5 オイルショック以降

 

昭和48年に起きた第一次オイルショックは,それまで安価なエネルギー源として頼り切っていた石油の安定供給を根本から揺るがすものとして全世界に深刻な打撃を与えました。石油の海上輸送量はオイルショックを境として頭打ちとなり,それまで石油の消費量の伸びを見越して投機的に建造されたタンカーの船腹は莫大な余剰を生じ,タンカーの需要は当然急減して,大型タンカーの発注はなくなり,契約済みのものまでキャンセルが出て,図15に見るように造船量は激減しています。この時期の調査によれば,タンカーの余剰船腹は全世界で7,000万トンと言われ,以後日本のみならず世界の造船業は深刻な不況に見舞われることになります。
運輸省は激減した造船の発注量に対応し過当競争を防ぐため,造船能力を調整する事になり,昭和55年に37%減,さらに昭和63年に24%減の造船設備処理の政策を実施しています。この間造船各社は会社の減量,あるいは陸上部門への転換等,生産性の向上のための必死の努力を払って不況の乗り切りを図りました。しかしながら,この間韓国をはじめアジア諸国の追い上げや急激な円高もあって,日本の造船業にとって造船業そのものの存続の意義まで問われる苦しい時代が続きました。この時期,海上自衛隊の護衛艦(図36)や200浬時代を迎えて強化された海上保安庁の巡視船(図37)の発注は苦しい造船業にとっては救いの神でした。
オイルショック以後はタンカーの発注が激減し,建造船種も多様になっています。まず代替エネルギーとして天然ガスの需要が急増したため,川崎重工で建造されたGolar Spirit(図38)を皮切りにLNG運搬船が多数建造されました。また,一時期バルクキャリアーが大量に建造されていわゆるミニブームとなりましたが,投機的に大量に造られたため船腹過剰となり,63年の第二

 

 

 

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