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て,同型船であるむらさき丸と並航させて実験が行われ,図32のようにくれない丸の船首波が殆ど消えていることが実証されるとともに,実際に造波抵抗が著しく減少していることが実測されました。乾教授の成果は,たちまち全世界に広まり,今では世界中の殆どの船が大なり小なりバルバスバウを付けていると言っても過言で無いほど普及しました。図33にはコンテナ船のバルバスバウの例が示してあります。一方,系統的な模型実験の成果の例としては,三菱長崎船型試験場で開発された出城丸クラス(図34)があり,馬力が25%低減されたと語り草になっています。舶用プロペラのMAUシリーズが,船研を中心として開発されたのもこの時期です。

またこの時期,ストリップ法や統計的手法を用いた,不規則な海洋波中の応答の計算法や操縦性に関する研究が画期的に進歩し,船体設計の有力な武器として用いられていますが,時間の関係で残念ながら詳細は割愛します。

 

ii) 構造設計法の革新

戦後のタンカーを始めとする船舶の急速な大型化を可能ならしめた要素を考える際,構造設計法の革新を見逃すわけには行きません。それまでのタンカーの船体構造は細かく仕切られたタンク構造が大部分でした。例えば1950年代に造られた10万トンタンカーUniverse Apolloの場合,タンクの数は48個にのぼります(図35A)。このような構造のままでは大型化しようにも船体重量が大きくなってしまうため,大型化の要求に応えるためには新しい構造方式が必要になってきました。そのため,船殻構造の合理化を達成するための努力が造船協会および造船研究協会の場で共同研究として行われ,その結果生まれたのが東京丸に始まる1960年代の大型タンカーです。図35B,Cに見るようにずんぐりとした形状で,構造的には隔壁の間隔が広がりタンクの数も大幅に減少して,15個のカーゴータンクとなっています。このような船型を開発するには,波浪荷重の見直し,タンク内の荷油の挙動とその影響の解明,高張力鋼の採用等数々の努力がなされた外,鋼船規則の改正や国際的にはIMCO(現IMO)の基準の改正等並々ならぬ努力が払われたとのことであります。新しいタイプを採用した結果船体重量が減少し,ひいては載荷重量の増加,建造工数の減少をもたらし,受注の増加にもつながったのであります。現在世界的にも主流であるこの方式のタンカーは我が国で生み出されたものであります。

なお上述のような,日本の造船の急成長を支えた技術革新の多くは,昭和33年に設立された日本船舶振興会(現日本財団)の補助により行われた共同研究により生み出されたものであり,同財団が造船関連の技術の発展と造船業の活性化に果たした役割と功績は極めて大きなものがあります。

 

 

 

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