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3 大正時代に芽生えた日本独自の技術

 

明治年間は日本の造船界は唯々欧米の先進技術を習得し追いつくことで精一杯でしたが,大正に入るとそろそろ日本独自の技術が生まれ初めています。ここではその一つの例として,フィンスタビライザー(可動翼型動揺制止装置)について述べてみたいと思います。
フィンスタビライザーは大正12年に三菱造船会社船型試験場の元良信太郎技師(当時,後に三菱重工社長)によって発明されました。この装置(図7)は対馬航路の睦丸(図8)で試験され,図で見るように明らかな横揺れの減少が認められました。三菱造船会社は海軍で採用してもらうべく試験を依頼し,海軍では試験的に機雷敷設艇に装着して試験をする事になりました。ところが機雷敷設艇は敷設作業をするときは4ノット程度に減速するので,翼の動的揚力を利用するこの装置は十分に効果を発揮せず,その辺の理屈の分からない乗組員は効果を認めずと報告したため,海軍は採用しなかったというエピソードがあります。
その後関金連絡船京福丸に装備されましたが,制御用のサーボモーターの無い時代で図7のように蒸気機関を使っているため,乗客から騒音について苦情が出ています。そんな事もあって結局日本では採用されませんでした。失望した三菱造船会社は特許をイギリスのDenny Brown社に売却しています。Denny Brown社はその後発達した自動制御技術を取り入れて根気よく改良を行い,大西洋航路の客船をはじめ豪華クルーズ船には欠かせないものになるほど普及するようになりました。発明元の日本はDenny Brown社や後発のSperry社に特許料を支払って使っている現状で,早すぎた発明のいい例であり,また外国で評価されないと信用されないという,一昔前の日本の発明の宿命を痛感します。

 

4 昭和時代の造船

 

昭和時代を,1)昭和初期から終戦まで,2)戦後の混乱期と復興期,3)造船業の最盛期,4)第一次オイルショック後の不況期,の4つのピリオドに分けて概観してみたいと思います。

 

4.1 昭和初期から終戦まで

 

昭和に入ると,昭和3年から5年にかけての命令航路代替船建造助成,昭和7年から11年の船舶改善助成,昭和12年から16年の優秀船建造助成等の海運,造船助成が次々と打ち出され造船量が増加するとともに,サンフランシスコ航路の優秀船浅問丸クラス(図9),シアトル航路の優秀客船氷川丸クラス,11,000GT,南米移民船あるぜんちな丸クラス(図10),欧州航路の新田丸クラス(図11),戦前最高速(23ノット)を誇った関金連絡船金剛丸(図12参照)等私の年代の記憶に残る数々の名船が誕生しました。

 

 

 

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