5 都市、水、環境
都市はしばしば環境の劣化について非難されている。確かに都市が生態系に投げかける影はかなり広がっている。都市では人間の活動が比較的小さい空間に集中するため、膨大な量の廃物を生成し、局地的に生態系をまったく変化させる傾向にあるためである。1982年に、デリーに流れ込むヤムナ川の水は糞便性大腸菌値は100ミリリットル中に7,500観測されたが、その水が都市を流れ出る時には100ミリリットル中に2、400万観測されるまでになっていた12。歴史的に都市は生活をするのにとても不健康な場所であり、特に、その多くが新たな移民や不法居住者などの社会的に無視された貧しい人々にとって、このことは依然として変わらない場合が多い。
激変説論者たちにとっては、都市は人口超過の悪夢のようなものである。特に経済発展にともなう移民についてはなおさらである。たとえば、レスター・ブラウン氏が描いた2030年の中国のビジョンは「工業化」(工場、住宅、道路、収益性の高い収穫物の形で)が穀物収穫地域のほぼ半分にまで進み、現在何千万人の人々の食物のために使っている水資源の大部分を専用することになるというものである13。ブラウン氏の描いたシナリオは極端に暗いものであるが、中心的な生活の事実を証明している。都市かあるいは農業に利用できる場合、人間と同じように土地と水もたいていの場合は都市の方が高い経済的価値を生成するということである。これについては何も間違っていない。豊かな国は都市化の傾向にあり、農業に占める水利用の割合は低くなっている。
ブラウン氏の食糧危機が来るという説に話しを戻すと、現在のところ、北京やマドラスのような水不足の都市とその周辺の灌漑地の間に水の供給に緊張関係はあるが、それがつねに農業生産にマイナスの影響を与えているわけではないことをつけ加えておく。都市の水においてもっとも切迫した問題は、次の世紀に先送りにしたり、近郊の地に新たな供給を求めればよいという問題ではなく、現在の都市環境自体の中の、既存の供給にかかわる問題なのである。