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被害として低い海岸の二枚貝やウニ、そして多数海岸に打上げられたその他幾つかの生物種が確認されている(SEEEC1996年)。

しかし、商業魚介類の場合には、主要な問題は汚染である。MAFF(英国農水省)は油流出事故発生の直後に漁業禁止区域を定めた。しかしながら魚は汚染が殆ど見られないか全く見られないことが分かり、鮭と海の鱒の禁漁令が5月3日に解かれ、その他の魚については5月21日に解かれた(SEEEC 1996年)。しかし貝類、特に二枚貝の汚染がひどく、これらについての禁漁令が漸次解かれてはいったようであるが、回復の速度は遅かった。

したがって、シー・エンプレス号油流出事故による環境と経済への主な影響は分散油によるもの(流出した油の50%を占める)ではなく、5〜9%というずっと低い比率の海面油によるものであった。海面油は6,900羽の鳥(そのうち66%は普通のクロガモ)を油まみれにし、潮間帯に対して、例えばウエストアングル湾に以前いた150匹の珍しいヒトデが20匹以下になってしまった(SEEEC 1996年)等の大きな影響を与え、更に海岸線での対応作業を12ヵ月以上も続けさせた。

 

海岸線に堆積した油の浄化(2月15日から2月29日まで)

およそ10,000〜15,000tのフォーティーズ原油のエマルジョンが2月29日までに南ウェールズの海岸線200kmを汚染した。流出した燃料重油(480t)は主にミルフォード・ヘブンの海岸線を汚染した。

2月15日から21日までの初期の油汚染区域はスコーマー島からセント・ガヴァンス岬までであった。2月19日から21日にかけては北寄りであった風向きが、2月22日から南寄りに変った。その結果、蒸発又は分散せずに残っていた海面のエマルジョンはカマーザン湾の海岸線の方向へ向かった。乳化した油はまず2月24日から25日にかけてカマーザン湾内の、ペンダインとテンビーとの間の岸に漂着し始めた。カマーザン湾内で最も大規模な油汚染は2月27日から29日にかけての期間中に起こった。

流出油浄化作業自体による影響を最小にするために主に手作業と軽機材に頼った海岸浄化作業により、2月24日から29日までに、着手可能な場所から堆積した油の大半が除去された。

 

第二次浄化作業と汚染海岸線の仕上げ作業(1996年3月1日〜1997年5月)

1996年3月までに嵩のある油の大半がミルフォード・ヘブンとカマーザン湾の浜辺から除去された。しかし接近不可能な入江や、満潮が引いた後に堆積した汚染された玉石や小石を含む場所等幾つかの憂慮すべき汚染区域が残った。第一次の浄化作業が終わっている浜辺にある残留油は、環境に関してもアメニティーの面でもその集中が引続き憂慮されたため、対応チームにとっての課題として残った。海岸線の汚染された区域は高エネルギー環境と低エネルギー環境の2種に分類できる。

 

高エネルギー環境:磯波洗浄

対応作業全般において、海岸を汚染している油は海岸線に強固に接着している訳ではないということが注目された。カマーザン湾から採取した油と海岸の堆積物のサンプルを磯波領域から採取した海水と混ぜて撹拝したところ、鉱物微粉と油滴との間の自然の相互作用が光学顕微鏡で確認することができた。カナダ漁業海洋省が表層蛍光顕微鏡により直接観察したところ、アムロス海岸の潮間帯から採取した海水サンプルの中に、周囲に鉱物微粉が安定した凝集体となって付着している油滴が含まれているのが確認された(図5a,b)。図は、粘土、珪藻植物、油滴の位相差顕微鏡による映像(図5a)と紫外線表層蛍光顕微鏡による映像(図5b)とを示している。表層蛍光顕微鏡による場合、個々の油滴は明らかに鉱物微粉と識別される。こうして我々は、以前に「粘土―油の凝集」(Bragg及びYang 1993年a&b)として記述されている、固有の油流出対抗過程

 

 

 

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