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B. 初期段階から最終処理までの「シー・エンプレス号」等大規模油流出事故での油流出対応作業の概観、得られた教訓

 

1.0 「シー・エンプレス号」事故(最高責任者報告からの抜粋)

1.1 「シー・エンプレス号」事故は英国水域での3番目に大きい油流出であった

(1967年、トリー・キャニオン号119,000t及び1993年、ブレア号84,000tに続く)。これは、1996年2月15日にミルフォード・ヘブン(英国)に同船が座礁した時、フォーティーズ原油72,000t以上が流出したものである。この事故では英国の緊急防災計画による見事な処置が実証された。油汚染を処理するために必要な資機材が迅速に結集され、必要な場所、時期に利用可能であった。この作戦にはおよそ1,100人が動員された。この規模の油流出では、環境への損害を防ぐ方法はない。この規模の流出事故では環境破壊を免れることはできない。流出油に対する対応は、海浜や漁場をそこで生計を営んでいる人々やそこをレクリエーションに使っている人々にできるだけ早く帰してやることであった。しかし、環境破壊は不可避として、対応とは、いろいろと介入して来て煩わしく又多くの損失を伴い油と同じように環境に危害をもたらしたかもしれない過剰反応と環境に回復する機会を与える処置、即ち、風や波や自然作用で油を除去させるに必要な処置とを調整することであった。対応作業のどの段階においても、我々は人員又は資機材の欠如によって妨げられることはなかった。共同対応センター(JRC)が組織され、計画に従って運営された。このような事故への対応は、ある程度まで緊急防災計画に頼る(結局、組織の大部分が臨機に組み上げざるを得ない)以外になかったという条件に鑑みて、私は、「シー・エンプレス号」に対する全体的な対応は成功であったと判断できるものと信じる。

1.2 得られた教訓

* 連携、計画、訓練、演習を包括した事前の優れた緊急防災計画はうまくいった。しかし「シー・エンプレス号」のような大規模事故では、基本計画を想像力豊かに拡張する必要がある。

* 空中散布の分散処理剤(446t)の使用により、海浜への漂着油の量が1/10のオーダーに減少した。

* 海上回収は散布と並行して実施できたが、コストが非常にかかり、効果は薄かった。オイルフェンスを備えた漁船を使って、浅水域から油を集め深水域の油回収船へ運んだ。

* 空中散布の際、異なった水深からのサンプル採取して分散処理剤散布の効率をチェックするために、その海域に船を配置することが最も重要であった。航空機の乗組員は、分散処理剤が十分に機能するまでに時間を要した場合、散布が効果を失いつつあるのではないかとしばしば思った。又、対応実施者と、散布の許可を出す(即ち農水省等)政府機関との緊密な連絡が不可欠である。

* 二つの対応センターが必要である。一つは海上対応、もう一つは海岸線対応である。これは、関係者の人数が膨大なので両方を一緒にすることは非現実的だからである。二つのセンター間には緊密で定期的な意思疎通を必要とする。

* 24時間通して、情報収集やインタビューに対して決して飽くことを知らないマスコミの存在を過小評価してはならない。マスコミは事故に対処する関係者の集中力を奪った。最高幹部でないにしても、上級幹部は対応実施者の代わりに定期的にマスコミに対応し、中央政府と調整にあたり、VIPの訪問を処理する必要がある。

* 長期間の大規模事故では極端な人手不足に陥る。全ての人員が24時間ごとに少なくとも8時間の休憩が得られるよう計画すべきである。これは、人々を危険に落とし入れないようにし、又危険な管理決定をしないため

 

 

 

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