す。ヴィエトナムはこのときほとんどありません。特にタイでは、最初の5年間と次の4年間とは11倍に直接投資が伸びています。4年間の投資額は12億8,000万USドルです。
タイ政府の政策は次のように取りました。まず1つは、外国企業に対する税制を非常に緩和しました。大規模な工業開発計画、ナバナコンのような大規模な工業用地を開発しました。その最も特徴的なことは、バンコクの都市地域の周辺に集中させたことです。図-4に示しました。主な工業用地はバンコクに非常に近い。ここがナバナコンで、この赤いのが、開発されたり改良された港湾です。このバンコクからレムチャバンまでは、ハノイからハイフォンよりももっと近いです。国道、ハイウェー、空港は、ヴィエトナム戦争の間にアメリカがほとんど開発しました。タイ政府は港湾の開発をしました。港湾開発はバンコクメトロポリタンまたはその近くに集中しています。四つの港湾が開発されましたが、その三つはコンテナ貨物を扱う港として開発しました。最後の一つは化学工業のため、台湾でとれる天然ガスの加工のため、化学工業のために開発された港です。
あと一つ重要なことは、プライベートの私企業に、インランドコンテナヤード整備を許可して自由に開発したことです。政府の投資が追いつかないために、私企業の力をうまく利用した例です。これらの開発は1988年、89年に集中しています。表6はタイの経済成長ですが、製造業が特に、毎年10%以上で成長しているのがわかります。その結果、GDP全体としても、87年、88年、89年で表-6のように高い成長を示しています。今のヴィエトナムの状況は、一人あたりのGDPでまさにタイの1986年ぐらいの経済水準です。
97年の今年アジアの各国は、非常に深刻な通貨危機に陥りました。真の理由は難しいですが、日本は多分、通貨政策の大きな失敗だったと考えています。タイは、外国資本に過度に頼り過ぎたことが一つに挙げられます。ほとんど国内の企業は、不動産とか株式市場に資本を集中させました。これは工業化政策の失敗ではありません。投資政策としての資金の調達が問題だったと考えています。我々は、地球規模的な金融市場が、流動化していることを強く認識すべきだと思います。
これらをまとめて、効率的な製造業、工業の開発のためには、交通開発はハノイ、ハイフォン、あるいはホーチミンに集中すべきだというのが一つの私の結論です。
そして残りが、港湾と道路の改良というのが非常に緊急だということです。
これで私の発表を終わりにします。