5 分割・民営化に際しての課題
(1)会社設立方式
分割・民営化を国の主導で進めるため、法律によって設立する特殊株式会社とするが、収支の黒字が継続できる等の条件が整い次第、国が所有する株式を民間に売却してできるだけ早期に純民間会社に移行することとした。
(本州3旅客会社=東日本、東海、西日本=については、将来とも黒字経営を継続できる見通しが立ったので、1993年から順次株式の売却を開始している。)
(2)国の監督規制
新鉄道会社の経営の自由、自主性を確保するため、会社が行うことができる事業範囲を限定せず(従来は原則として鉄道業に限定していた。)、また運賃・料金も大臣の許可のみできめられるようにした。(自主性が与えられたため、経営責任は経営者にあることが明らかになる。)
(3)各社ごとの収益調整の処置
?新経営状態への移行時(1987年4月1日)には、全国一律の運賃水準と距離比例による運賃算定方式は従来どおり維持することとなった。
?しかし、そのままでは北海道、四国、九州の3社は、旅客数も少ないため大幅な赤字経営になる。このため、3社には一定の「経営安定基金」を持たせて、この運用による収益を収入として赤字の発生を防ぐこととした。
(経営安定基金は、3社合計で1,270,000百万円=1兆2700億円)
?また、本州の3社の間でも、4つの新幹線の収益力に大きな差があるためトータルの収益力に差が生ずると予想された。このため4つの新幹線を別の主体(特殊法人)に所有させ、旅客会社に対する貸付料を収益力に応じて特別の基準を投げて貸し付けることとした。
(収益力の高い新幹線は割高な貸付料に、低い新幹線は割安な貸付料とする。)
さらに、本州3社と貨物鉄道会社には、鉄道業のための財産を引き継がせる一方、できる限り多額の借入金も持たせ、将来の利益から返還させることとした。(引き継いだ借入金は、最終的には10,430,000百万円=10兆4300億円になる。)
(4)職員数の適正化
国鉄の職員数は、最も多い時期である1965年頃には460千人をこえていたが、その後順次合理化を進めたものの1980年には414千人、1985年には277千人であった。1986年4月の分割・民営化時に新会社等に採用されたのは199千人に限られ、残りの者は割増し退職金をもらって希望退職をしたり、あっせんを受けて他の職場に再就職した。
(5)国鉄長期債務の処理
国鉄の債務(借入金)は、長きにわたる大幅な赤字及び採算を無視した毎年の設備投資により膨張する一方であり、1986年4月の分割民営化時には、退職した職員に将来支払うこととなる年金の負担等を含めると、実に37兆1000億円にも達する巨大なものであった。これを新鉄道会社や新幹線を所有する法人等に14兆5000億円(うちJR各社に10兆4300億円)負担させるとともに、残存する土地や新会社の株式を売却することで約8兆9000億円の収入を見込んだとしても、最終的には13兆8000億円程度は返済の見込みが立たないためこれは最終的には「国民負担」(税による返済)とすることにした。