をまずつくり、それに基づき重要な社会資本整備の計画をつくる態勢を整えました。その社会資本は、港湾、道路、空港、旅行等々、全部で14あります。そこで、加工貿易によって日本の経済をつくり上げ、それの国土における配置は、今まで工業が発達していなかった貧しい地域に配置し、それによって、国民全員の所得を2倍にしようという政策が1972年に発足しました。そのために必要な交通インフラは何かというと、このときに運輸政策として選択された交通インフラ整備は港湾の整備でした。インフラだけができ上がっても工業は成立しませんから、港湾の整備という運輸政策と連動して、技術者育成のための教育改革、工業を成立させるための水開発、その他いろいろな政策がこれに連動して動き出しました。産業を発展させ、産業を育成するためには、経済学の基本である資本と人材と市場とを獲得しなければ、産業は定着しないので、この基本に基づき資本としての港湾建設、人材育成としての教育改革、あるいは市場獲得としての対外貿易重視というような政策を連動させたました。それで、貧しい地域にこれをつくり地域の所得を上げることにより、国内の人々の暮らしが豊かになり、市場はどんどん大きくなってきました。
図-2のグラフを見てください。国民生活の中での耐久消費財の普及率をグラフにしたものです。1960年代後半から、急速に普及が進むようになり、1970年代後半には、それぞれの耐久消費財が90%以上普及するようになりました。これが日本における工業化の裏にあります市場の変化です。こうした高度成長路線が本格化していくために、基本になった経済計画と国土総合開発計画という基本政策が、時代によってどのように変わってきたかというのは、表-3,表-4,図-3,図-4にまとめてあります。
その後、日本列島は、また大きな変革期を迎えました。それは世界の基礎エネルギーが、石炭から石油に変わったことです。それにより、社会的に必要なインフラは、鉄道から高速道路へ、さらにはジェット機が乗り降りする空港へ、さらには高速鉄道へと変わりました。これを受けまして、日本列島のグランドデザインをまた変えざるを得なくなりました。それが、1969年に立てられた新しいナショナル・コンプリヘンシブ・ディベロプメント・プランニングです。高速道路と高速鉄道のネットワークを当時、どのように構築していくかというグランドデザインは図-4に載せておきました。
運輸政策は、これによって大きな新しい課題に取り組み出しました。同時に、この変革は産業部門、工業部門にも及んできまして、1973年の石油危機を経て、決定的な構造変革を求められました。それは重厚長大、重くて、厚くて、長くて、大きい工業製品をつくっている工業から軽小短薄、軽くて、短くて、小さくて、そして薄い。この工業への転換を求められたわけです。これを輸送するのに必要なインフラは飛行場であり、高速道路であり、また、人の行き来が大変大きくなるための高速鉄道であ