そのジレンマには、以下のような概念的二項式が含まれている。
・「港湾プロジェクト」対「ウォーターフロントプロジェクト」
・「生産活動」対「レジャー活動」
・「経済プロジェクト」対「環境保全」
・「近代性および競争力」対「文化保存」
・「公的投資」対「民間投資」
・「政府による中央集権的プランニング」対「自由市場活動」
・「閉ざされた経済」対「開かれた経済」
・「貧困」対「富裕」(貧しい国と豊かな国の貿易関係)
ところで、世界経済の動揺を眼前にして―――いわゆるアジア危機によって世界の株価が乱高下し、互いに遠く離れてはいても経済や商業で今や密接な相互依存関係にある国々の経済情勢を変えてしまった。そんな状況を目の前にすると―――今の世の中、本当は何が「貧しさ」で何が「豊かさ」なのか、という気がするのも無理はない。
よくよく考えてみなければならない問題があるのは明らかで、調査研究対象は尽きないであろう。ただ、ブラジルにとつて今は、近代化と国家発展のための戦略を引き続き推進していくべきときなのである。われわれは、経済の国際化をしっかりと見据えなければならないのであって、そのことはブラジル連邦政府の「ブラジル・エマ・アサォン(動き出したブラジル)」と呼ばれるプログラムと、レアル計画をさらに発展させたプログラムに正確に盛り込まれている。これらのプログラムは共に、完全なる民主主義と自由市場経済に基づいてインフレプロセスをコントロールし、ブラジル経済を自立的発展という新しいサイクルへと導くことを約したものである。
ブラジルの港湾近代化法(第8.630号法、1993年2月25日)は、この変革の準備段階であった。この法はまた、港湾の急速な変革を可能にする正式なメカニズムをつくった。その直接的効果は、いわゆる「ブラジルコスト要因」の削減、業務の改善に見てとることができる。
リオデジャネイロ港では、ターミナルの民営化(民間会社にリースすることをいう)によって、コストを以前の60%にまで削減することに成功した。リオでのコンテナ取扱いコストは、1998年にはユニットあたり120USドルほどになるであろう。世界で最もコストの安い港湾の仲間入りをするわけである。現在年間20万TEUしかないコンテナ取扱い量も、数年で年間80万TEUになるであろう。
これらの情報は、ブラジルを巨大な新興マーケットとして見つつ分析することが重要である。
これから大きく伸びるこの市場で、リオデジャネイロ州は優れたロジスティックスを自由に駆使し、経済の牽引車となるべく港湾と産業施設の一体化を進めようとしている。こういった動きは、リオ港とセペティバ港に集中することになる。セペティバ港は南大西洋のハブ港となり、リオ港はフィーダー港となる。両港はわずか80キロの距離にあり、管理者も同じポートオーソリティ、ドッカス・ド・リオとして知られるコンパニエア・ドッカス・ド・リオデジャネイロ(リオ埠頭公社)である。
1997年末までに、ドッカス・ド・リオは新たな視覚的アイデンティティーを確立し、ブラジリアの今は亡きポルトブラス(国有連邦港湾親会社)を中心とした古い時代遅れの港湾システムとの象徴的な決別に向けて、市場を導いてゆく。これからは、6人の局長からなる民営化についての国家評議会(CND、コンセーリョ・ナショナール・デ・デゼスタティザサォン)の全面的なバックアップのもと、リオ港は古い官僚主義的モデルを脱ぎ捨て、民間セクターの参加を募り日々の活動に彼らを巻き込み、国際貿易拡大の戦略を共有し、メルコスールはじめブラジルの他の地域にとつての貨物集積・集配の中心地と自らを位置づけて、競争力のある港湾へと生まれ変わる。これは、沿岸輸送、外洋輸送を再開する強力なインセンティブになるであろう。そして、競争的風土が生まれる。リオ港は、経済的インセンティブと合理化された制度的枠組みの両輪で、自らの構想を推進していくことになろう。