ステイ先であるジェフさん宅までは車で移動したのですが、この時には初めて一人でホームステイだったので少し不安でしたが、移動中の車内では、たえずママさんが日本の文化や日本語等について問いかけてくれたので楽しく過ごすことができました。家に到着すると、パパさんや初め家族全員の熱烈な歓迎を受け、日本でよく言われていることですが、アメリカ人はジェスチャーが大きいので英語が少し分かりづらくても、そのジェスチャーで英語が理解しやすいということが身にしみて分かりました。また家族全員がとてもユーモアで、会う前に不安な気持ちを抱いていたことを忘れさせてくれるほどで、すぐに打ち解けることができました。その日の夕方にS T MARYS SquadrtionsMeetingに参加した時に規律訓練を見学したのですが、見事にけじめがついていて遊ぶ時には徹底的に遊び、訓練の時にはだらけずビシッとしていまいした。大阪団だけでなく、日本のすべて7団の団員がこうあってほしいものだと思いました。
このST MARYSではおもに見学させて頂いた所がPataxent Naval Air Stationというところで、もちろん敷地面積はすごく広く、ほとんどが普通の人が入ることができない所で、見るものすべてが自分にとって初めて目にするものばかりでした特にあるハンガーではP-3(ORION)、これはレーダーを海に落として潜水艦の位置をサーチする役目の飛行機であり、さすが機内のレーダー室には驚かされました。やはりこの時の見への見学時には、他の機内見学ではない持ち物等の機内への持ち込みは禁止されました。
8月2日には次のホームステイ先であるWicomicにセスナで約1時間かけて移動しました。あちらの事情によりその日は我々全員(ジムさんを含む)が一緒に泊まったのですが、その日の夜に、ジムさんと我々5名とで今回のIACEについての感想や改善点について朝方4時間程度まで語り合いました。この日は自分にとっても、又他の4名にとっても良い思い出として心に刻まれているはずです。
メリーランド州最後の夜には、我々のためにFarewell Partyをして下さいました。私は隣の席の座ったダニエル君と自分の将来やCAP、航空少年団の構造・文化の違いについて語り合い本当に良い経験となりました。このパーティーで我々はメリーランド州からの訪問記念証と、今回のIACEの記念楯を戴き、自分たちがこれほどまでに歓迎されてよいものだろうかと思うほどでありました。このパーティーでジムさんと外の方とはお別れしなくれはいけず、みなさんから「またここに戻ってきなさい」と言って下さいました。別れが近づいて来たと感じながら、感謝の気持ちで一杯で一生懸命に英語を話していました。このパーティーでの事をけして忘れず、財産にしたいと思っています。
次の日にはジムさんが最初の宿泊地、ヒルトンホテルまで送って下さいました。残念ながらの妻のコレットさんには仕事の都合上、お別れの言葉が言えず残念でありました。やはりこの2週間つねにジムさんと行動してきたので、別れの時は近づくにつれてみんなの心には“悲しさ、さびしさ”が心を覆っていたにちがいなく、ジムさんの別れの言葉「日本に、息子と娘がいると思っている」を聞いた時には悲しさで一杯であました。