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ここの2日間はセントメリーの学生達と一緒にプログラムを過ごしていった。学生達とのプログラムでは、ELTという航空機の事故の時に緊急信号をだす電波発信機をダミーの周波数を使いアンテナを数種類用いて捜索した。日本の学生達のアンテナの受信機の反応が強く、このまわりというところでアメリカの学生達に先に発見されてしまい、くやしい思いをしたのを覚えている。学生達と接していて思うのだが、CAPと地域は強い強調があって、軍の施設にもかかわらずCAPの学生の運転する車は敬礼ひとつでゲートを通過することができた。彼等の団体行動訓練も、厳しいところから教えていると思った。私達日本人が見ていて上官がいて、照れてやっているのを抜いても感じた。また基地には試験的なセクションが多く、機体自体の試験のところからパイロットの試験のところまであった。V-22というVTOLの機体があり、翼の角度は直角ではなかったが機体の大きさからみてあきらかに短かい滑走距離で離陸していった。V-107、UH-1、AH-1等のヘリコプター隊の格納庫、小型のレシプロ飛行機からジェットの初級、中級練習機、双発の戦闘攻撃機まで、機体によってはコクピットまでタラップを付けてくれ、APUをいれてフライトデータを正面前方に浮き上がらせるシステムまで作動させて見せてくれた。最初格納庫の中でAPUを入れてポジションライトと衝突防止灯をつけた時にはとてもどおろいた。一方、航空機を復元する製作所では広大な面積にいくつもの格納庫を持ち、展示館もいくつかあって、それらと修復の現場を見せていただいた。展示機の機種も製造が終了してから数十年以上たっている機体がほとんどで、おそらくもうここにしかないと思う、とおっしゃった機体もあった。復元のセクションは第2次大戦以前の機体を中心に作業をしていて日本の機体も多く、日本語と英語のインフォメーションがあってこれであっているか、と聞かれて困る時もあった。それにしてもさすが修復をしていて曲面部も型があるわけではないのにうまく曲面をつくっていて感心させられた。夜は2泊ともホームステイプログラムで、私は1人でステイだったが、私がお世話になった家は両親と3人の子供で5人の家族で2日目の夜は日本から持っていった本のしおりと、まわすと逆立ちするコマで話が弾んだ。

ホームステイは初めてではなかったが最初は緊張した。が、2人の小さい子にも助けられてうちとけることができ、とても心に残る2泊で、朝、家を離れる時は一番下の子以外みなで送ってもらって離れるのが寂しいと思ってしまった。その後また違う地域へ移動するためにセスナ機に分乗してこの地を離れた。この日のサウスベリーという地に降りたった。セスナ機を降りると、ここのCAPのスタッフと学生、そして格納庫を守る猫とで出迎えを受けた。お互いの自己紹介をしてさっそく出かけようと車に乗り込み、町へ向かった。飛行場のまわりは田舎のようで、広大は大地が広がるだけという感じだったが、町に近付くにつれて人は建物が急激に増えその差におどろいた。

 

 

 

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