活性化させました。もう一つの夢だった「福祉国家」も変容を余儀なくされ、一部のエリートが税金の分配を決定する、というシステムが完全ではなかったことが明らかになってきた。この意思決定のルートが崩れることはありませんが、そのほかにもバイパスが必要になってくる。つまり、税金として公共財を担うだけではなく、個々人が個々人の意思決定によって公共財を供給していく。これがフィランソロピーであるかと思います。
ニッシュ 日本のフィランソロピーの現状に関し、三つの不安があります。一つは税制がフィランソロピーのインセンティブになっていないということ。二番目は、企業の経営陣と会社法の問題。これらはイギリスとも共通する問題です。
イギリスの観点から三番日の点を申し上げます。われわれは少なくとも過去三、四○年間は福祉国家の輝かしい模範でしたが、それが徐々に崩壊してきています。問題なのは、貧困と不正義を多くの分野でもたらしたということです。正直で清廉な官僚がいれは、正義をもって均質に対処できたはずです。実際には公正さに対する基準がなくなってきていますが。フィランソロピーはある意味では枠組みがなく、お金を出すときに首尾一貫した基準というのはない。それが難しい点です。
新たな「個」の確立に向けて
世古 ボランティアというのは個人のことですね。今はNPOの基盤が弱いために、個人のボランティアは行政の下請けやお手伝いで終わってしまっている。市民セクター、行政セクター、企業セクターのパートナーシップをつくるには、市民セクターの基盤となるNPOをしっかりつくっていく必要がある。そのための社会的な仕組みの一つがNPO法案ということになります。しかしそれだけでは不十分で、情報でもお金の面でも、そこに人、物、情報が回るような仕組みやネットワークづくりが急務だと考えています。
清水 グローバルスタンダードのお話が出ましたが、私はこれが北西アメリカのスタンダードを意味するとは思いません。世界では各国がスタンダードをつくるための競争をしていて、日本でも省エネルギー技術などグローバルスタンダードになっている分野はいくつかあるわけです。だから、グローバルスタンダードに合わせるのは日本の個性を失わせるものだという議論より、どうやってわれわれのグローバルスタンダードをつくるか、ということに知恵を出すことが大事なのでは、と思います。
とはいえわれわれは、ともすればアメリカのスタンダードで考えがちです。例えば、先ほどの議論にあった政府から独立しているNPOは非常にアメリカ的です。日本の社会や制度にうまく根づくようなNPOなりシビルソサエティーの仕組みを考えるのが急務ではないでしょうか。
香西 河合先生の言われた「何を支えに個人は生きるか」という問題を考えてみると、支えがないことが救いというか答えだというような気がします。ないことがわかれは、連帯が生まれてくるかもしれない。つまり、寂しいということがキーではないか。例えはボランティアでターミナルケアをしても、結局慰めようがない。それでも最後まで手を握っている。そういうことから何か始まらないだろうか。あるいは最近のスキャンダルは組織悪だという指摘があります。官僚など既成の「イエ」に依存してきた人たちに対抗するために、NPOが生まれなければいけない。ただシステムの悪というのは必ずしも日本だけで