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あり、それは文化のレベルでいうなら「和魂」や「漢魂」を含めて各国の文化的共生を認めることになりますね。そうすると、和魂を捨てるかどうかという議論は非常に深い矛盾が出てきます。もしリベラリズムを徹底的に推し進めていくならば、非個人主義的文化たる和魂の存在も認めなければいけない。そうでなければもう一つの価値同化の暴力もリベラリズムの中にも出てきます。もちろん和魂はどこにあるか、という議論もあります。日本人の一部には和魂と国家主義を結び付ける考えがありますが、そこで和魂を捨てるということになると、別な次元で個の摩擦が生じてきます。というのは、和魂論に賛成するつもりは毛頭ありませんが、ただリベラリズムに潜んでいるこのような深い矛盾は無視してはならないと思います。

「和」の問題はもっと議論すべきです。フィランソロピーと個についての相互主体的問題は、ある意味では人間相互の協調を志向するところの「和仁という一文字に収れんされるからです。これまで、和は「同化」と同じように理解されてきました。同化の圧力は個を抹殺し、いろいろ問題も生じてきた。今後、和について「和して同ぜず」という別の角度から研究していくことによって、東洋の伝統的な理念とグローバルな時代の価値観の接点が出てくるのではないかと思います。

 

「基準」や「模範」をどこに求めるか

 

今田 一九八五年のプラザ合意で、日本企業がアメリカで現地生産するようになったことをきっかけに、アメリカ社会でNPOとフィランソロピーが非常に重要な地位を占めているということを日本は理解しました。企業市民活動への理解から始まったと思いますが、これは一つの文化的ショックであっただろうと思います。アメリカでNPOがやっているような仕事は、日本ではすべて政府が行っている。これは社会の活性化のためによくないのではないかということに、日本企業が気づいたのだと思います。それで経団連に一%クラブやメセナ協議会ができ、日本にも企業市民活動が入ってきた。ところが日本ではNPOというものが成熟していませんから、協力する相手がいない。NPOも活性化していかなくてはいけないという段階が現在だろうと思います。

アメリカと日本の社会の違いは、準公共財を政府が担うか民間が担うかという点です。つまり、NPOとフィランソロピーは現在の行政改革の議論と非常に密接に関連していて、文化論とか情緒論だけでは解決していかないということを指摘したいと思います。

それから、ヨーロッパはアメリカほどフィランソロピーが発達しているわけではありません。何年か前のヨーロピアン・ファウンデーション・センターの総会で、ダーレンドルフが「イギリスのフィランソロピーのレベルはアメリカの一〇分の一、大陸ヨーロッパのレベルはアメリカの一〇〇分の一である」と述べています。日本で一%クラブやメセナ協議会ができたのとフランスでアドミカルができた時期を比べると、時間的な差はそれほどありません。

出口 一九八〇年代後半の東ヨーロッパでは社会主義という人類の一つの夢が崩壊し、このことが東ヨーロッパの民主化、NPOを

 

 

 

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