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人ですね。当然リスクを負うから開発的になる、それぞれの自分から出発するから多彩になる、あるいは震災のときなど非常に機動的に動くなど、そのことがこれからのいろいろな社会的革新において、原点となるでしょう。その自発性とは、人に言われなくてもすること、同時に人に言われてもしないことなのです。そこのところをあまり強制しないほうがおもしろいのではないか。

ではどうするか。これは根本的にはバリアフリーが必要だと思います。活動することに対するいろいろなバリアや、何かしたらいいけれども何をしたらいいかよくわからないという人に対するアプローチは、情報システムやコーディネーターが対応できる。ただ、「ご奇特な」、「なかなかできないことを」と言われたり、まだまだ営利を目的としない行為は非常に特殊に見られたりする風潮はありますね。でも、私はボランティア活動は恋愛の一種だと思っているんです。恋愛はお金がかかってもする。なぜかというと好きだからです。ボランティアだって好きで始められる。他者に無償でかかわることは、自分にとって結構楽しいことです。子育てや恋愛のように、相手のためにすることが自分のためにもなるような体験を″身内を越えて″するとき、それをボランティアと呼んでいるだけじゃないかという気がしているんです。

よくわれわれは「ヘルピング・ユー・ヘルプス・ミー」ということでこの辺を説明します。「あなたを助けることが私を助ける」。個をだれが支えるかという議論も、そういう関係を周りに持つと白分を支えられるのではないか。それがコミュニティーも元気にさせていく……。そんな展開になっていくとおもしろいなと思います。

トルン そのようなNPO活動が、なぜ日本には広がっていないのでしょうか。ボランティアの出発はチャリティー精神ですね。人のために何かしてやるのは、余裕がないとやれないことです。現代は余裕があるだけでなく、社会の一員として、義務としてチャリティー精神を発揮しなくてはいけないということもあり、それは社会の成熟度のインディケーターにもなりうる。

日本の歴史を見てみると、出発点はもともとリッチな社会ではなかったため、チャリティー精神が不足していたのではないか。ヨーロッパの社会では、封建時代でも上層階級は豊かな生活をしていたけれども、日本社会は八割ぐらいが農民だったわけですから。

もう一点としては、自分の知った人以外の気持ちを理解できないという日本社会の特徴があげられます。行政側は決して企業人の気持ちはわからないし、企業人は市民のことはわかっていないのではないか。一方、欧米社会には転職の仕組みがあります。職を転々とすると自分がもといたところの仕組みや気持ちもわかるし、相手を寛容に認める気持ちが出てくると思います。そこで私が提唱するのが「一五年定年制」です。一五年たったら違う仕事をするという仕組みをつくらないと、日本社会は永遠に変革できないと思っております。

最後に、フィランソロピーの新しい概念として、新国際公共財という意識を紹介します。どんな船に対しても役立つ灯台のように、公共のための「財」として位置づける考え方です。日本社会でフィランソロピーやNPOを推進することによって、世界に貢献することにつなげるという考えです。

季 「和魂」に関する議論を聞き、個人主義的な意味でのリベラリズムの内的な矛盾を非常に感じました。リベラリズムは各個人の個性や社会の多元性、多様性を認めるところに

 

 

 

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