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世間が騒がなければ罪は全くなかった。「当時の社会通念では問題ではなかった」とも言っています。九五年当時のことです。それに比べると今は通念も変わった。市民社会が何であるかという議論が今後展開できればおもしろいなという気がしております。

 

改革の兆しは見え始めている

 

橋本 私どもの大学では、去年からボランティア活動に対して単位を与えるということを始めつつあります。多くの先生方は非常に純化された考え方で、奉仕活動というのは自分の意思によって人に知られずにやるものである、単位を与えること自体がおかしいという意見がかなりありました。現時点ではとにかく制度を始めてみて、学生は自分で申告してレポートを出すことになっています。必ずしもベストな制度ではありませんが、数学を勉強するのと同じようなつもりでボランティアに参加した、そのことに評価を与えるシステムはあってもいいんじゃないかなと思い始めているんです。

山田 なぜフィランソロピーやNGOを新聞社がやっていないのか。一つは、新聞社自体が今の権力システムに沿ったサブシステムとして機能しているからです。記者クラブの存在が象徴的ですね。それに政治部、経済部、社会部が、それぞれ政界、業界、官界にくっついている。そうしたシステムの中に入っていないNPOやフィランソロピーということをきちんとフォローする部署がないんです。NPO法案については政治部が書くし、企業のメセナは経済部が一部やる、NGOは社会部がやるというふうに各部署にまたがっているので、責任者がおらず、結局、社内では力がないということになる。だから紙面に出ても、どうしても紙面的官僚制の枠外で扱われるわけです。

このように、既成のマスコミが新しい時代の息吹を感じ取る力量とシステムを持っていないことは大変な問題だと思います。本来はそういうだめなマスコミは落ちていって、新しい動きをフォローする別のメディアやジャーナリズムがとってかわっていかなければいけないのではないか。これを変えていくのは我々の責任だし、健全なジャーナリズム批判がもっと出てこなくてはいけない。当面はNPOみたいな形でネットワークをつくり、企業化していくしかないのではないかと思います。

岸井 もう一点、言葉という大きな問題があります。例えば、日本経済は本当に自由主義かというと疑問です。大蔵省の幹部からの今年の年賀状に、「いよいよ日本の社会主義は終わりました」と書いてありましたよ。そうすると、フィランソロピーやNPOにしても、新しい日本型の言葉をつくらないと。そうでないと、なかなか広がりを持たないのではないでしょうか。

早瀬 先ほど「恥」という日本人の感性を生かしてフィランソロピー活動を進めていくのはどうだというご提案がありましたが、あまり関心しない方法論だと思っているのです。それは、多様な価値観を認めていこうという社会のトレンドとは違う方向に行ってしまうのではないか。ボランティアの語源は、「自分で考えて自己責任で行動する人」という意味なのだろうと思います。つまり自発的な

 

 

 

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