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フィランソロピーをどうとらえるか

 

土野 日本社会には、まだまだフィランソロピーの概念が定着しているとはいえないでしょう。それを定着、発展させていくために、われわれは今後どうしていくべきなのか。例えば、昨日の討議を拝聴して思ったのですが、日本人にとっては「隣人愛」よりも「損得勘定」のほうが基準として意味を持つかもしれない。河合先生のお話にもありましたが、「世間様」という概念もあります。そうした土壌でフィランソロピーやNPO活動を活性化させるには、何らかの工夫がいるでしょう。NPO活動をなさっている皆さんは、何か説得力のあるご提案がありましたらご披露いただきたいですね。またある意味で、現代の「世間様」にあたるのはマスコミだと思います。マスコミではNPO活動についての報道をどのようにお考えか、というようなこともお聞かせいただきたい。各分野の第一線で活躍なさっておられる方々の豊富な体験から、問題解決型といいますか、より具体的な発言がいただければと思います。

山岡 日本語には、なかなかフィランソロピーに当たる言葉がないようです。利他主義を表すとしたら、「貢献」、「奉仕」のような上下関係における言葉、「相互扶助」のように限られた仲間内やイエ社会の中での言葉、そして「積善」のように社会のためというより白分を高めるという三種類ぐらいしかありません。そうすると、仲間を越えて広がる横の人間関係を表す日本語を新しくつくるか、従来の縦関係を表す言葉に、横の関係の意味を入れ直すか。あるいは「フィランソロピー」のように外国の概念をそのまま持ち込むか。いろいろな選択肢を考えないといけないのでは、と思います。

林 加藤議長から、フィランソロピーをやると得をするという仕掛けをもっと具体的に考える必要があるという話がありましたが、これは大変重要なポイントだと思います。その理由を二点申します。

まず現在の日本社会では、インセンティブというかフィランソロピーをしたくなるような仕掛けが非常に弱い。一番いい例が税制です。アメリカと日本とを比べると、そこが著しく違います。例をあげますと、私の家内が亡くなったとき、この機会に香典をいただいて寄付をしようと考えました。そこで香典を一銭残らず世話になった病院に寄付したところ、税制上何の措置もなかったのです。

もう一点指摘したいのは、寄付をする側もまだ十分に志が煮詰まっていないということです。まだ途中段階ですが、国立総合研究大学院大学の出口先生が「街角のフィランピスト賞」という賞を公募していて、私もその選考委員を仰せつかっています。ところが応募内容をみると、皆さんせっかくいろいろ寄付をなさるのに、自治体などにぽんとまとめて寄付してしまう例が多い。「煮るなり焼くなりご勝手に」と言って出してしまうわけですね。それではせっかくの篤志の寄付が生きないような気がします。事実、そうした自治体では寄付金がどこに流れたかわからないという側が多いようですし。ですから、寄付をする側も「こういうところに使ってください」と言えばいいんです。

今田 私は、フィランソロピーというのは文化論や精神論でとらえるのではなく、基本的に社会のシステムとしてとらえなくてはいけないと思います。

現在の日本をはじめ先進諸国の問題は、民主主義と資本主義の原理の矛盾というところから発生しているようです。民主主義という

 

 

 

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