いてある。しかしそこには、確実に一人の人間の死があったんですよ。
これと同じことが、企業の中にもあると思います。同時に社員の側にも企業にわかってもらうための努力が必要です。企業も個人のことを細かく考える大切さはわかっていても、そこには自ずと限界があるのです。だから、社員は自分で自分を守るしかないし、逆に無理をすることはないわけです。命や運命まで会社と契約しているわけではない、というのが私の持論なんです。
以前は社員の側に、会社に必死にしがみついているようなところがありました。それが今、非常に希薄になってきているのではないでしょうか。これは結構なことですね。仕事を持ったり持たなかったりという多様性が出てきたということですから。とくに持たないことの自由が出てきたことは大きいと思います。
土野 大学生のフィランソロピー、ボランティア活動については加藤先生からもお話がありましたが、いったん社会人になりますと忙しくてなかなか世の中のために貢献できないと思うのですが。
加藤 かつて教えた学生たちや現代の若いサラリーマンを見ていますと、有給休暇を目いっぱい取るなりして自分の時間を大切にするようになったということは感じますね。これはわれわれの世代になかった感覚だと思います。昔は、休暇を取るとボーナスの考課が悪くなるといったこともありましたしね。
残業手当てを狙って、仕事がないのに席に座っている社員もいました。今はそういったことがなくなり、わりあいサバサバしてきたのではないでしょうか。
樋口 そうですね。企業の許容度も広くなっています。例えば、海外に行ってボランティアで働いてくるという人には、「行ってこい、元気でやってこい」と送り出す。みんなに送別会をやってもらったり、なかにはお金を送ってもらってる人もいますからね。そういう時代なんです。「俺が行けない代わりにおまえが行ってるんだから」という感じですね。
まず「動いて」みる
加藤 先ほど、教育というのは引き出すことだと樋口さんがおっしゃいました。実際には「詰め込み」なんですね。もう少し別の言葉を使えば、充電というふうにも言えるでしょう。
ところがこの電池は、子どもの頃から過充電になっているわけです。放電したくて仕方がない。そこにまた電気が入ってくるから、爆発するんですよ。
樋口 なるほど。
加藤 放電したくてしょうがないところに道筋をつけてやると、充電されたものがいくらでも出てくる。だから阪神大震災で、これは大変に地元の方にはお気の毒なことでしたけれども、暴走族がお得意のバイクで、焼け跡を走り回ってボランティア活動をしたというのは、大変に象徴的な話ですね。彼らは持てるエネルギーをどこで放電したらいいのかがわからない。だから、放電する場所を作っ