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がいてしかるべきなのに、そういう見識のある専門職をおいているところはほとんどない。おおむね役員が理事を兼務し、事務局は社内で調達している。これでは財団活動のできるはずがあるまい。

美術館などもそうだ。ある企業が美術館、博物館をつくる。負けじとばかり、ほかの企業も美術館をつくる。しかし、ここでも高度の専門性をもった学芸員を配置している例は皆無にちかい。社長の個人的な好みで、まったく系統のない絵画が雑然と展示されている美術館をわたしはたくさんみてきている。ひどいばあいには、絵画をあつめることで会社の資産がふえた、などとソロバン片手の発想からはじまった美術館もある。いい学芸員はあまりのひどさに耐えかねて、そういう美術館をさっさと辞めてしまう。これがフィランソロピーというものなのであろうか。

とにかく本業のほうが「護送船団」で主体性を喪失しているのだから、そこから派生したフィランソロピーもまた「顔のない」活動になるのは当然であろう。いうまでもないことだが、フィランソロピーの危機は「文化の危機」である。しっかりした文化哲学をもった人物が指導力を発揮してつくった財団や博物館、さらには民間NGOなどは外国にはたくさんあるけれども、日本にほんとうに哲学のある「民」があるか、といえば、残念ながら答えは否である。かなしいことだが、こればかりはみとめなければなるまい。

しかし、日本がむかしからそうか、といえば、けっしてそうではなかった。今回の議論のなかでもふれられたように近世、いや中世にさかのぼっても、日本にはフィランソロピーの伝統はみごとにかがやいていたし、明治の実業家のなかにもすぐれた識見をもった人物はたくさんいた。かつての日本の企業人も企業もいまよりも自由闊達であり、社会と企業の接点をみごとにおさえていた。それだけ組織に「個性」があったのである。その伝統を断絶せしめたのは、くどいようだが、戦時中にはじまった「護送船団方式」にほかならない。

じっさい政府による「指導」といえばキコエはいいが、「指導」と錯覚しているものはしばしば自由への干渉であり、ときには不当なる権力の行使である。そのことは元来の「護送船団」をふりかえってみるとよくわかる。この輸送船団のなかには老練な船長たちがたくさんいた。かれらにはかれらなりの判断があり、おのれの信ずるところにしたがって航海をしたい人物もすくなくはなかった。そして、この船

 

 

 

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