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これに応えて中曽根政府は一九八四年八月に臨時教育審議会を設置した。審議会は、さまざまな答申で、個人主義の涵養、創造性の奨励、生徒の思考と表現力の刺激、大学における人間的環境の創造などが必要であることを強調した。日本は当時まさに、成長段階を終えて、多様化され、個人化され、高度化された生活様式の先進工業国として成熟段階に移行しようとしていたからこそ、このような特徴が必要になっていたのである。審議会はさらに続けて「第二次大戦後の教育改革で強調された人格の全面形成、個性と自由の尊重といった諸原則が、日本ではまだ必ずしも十分確立されてはいない」ことも認めている。と同時に日本は、その特有の伝統と文化に対する正しい理解、一国家・一社会の責任ある成員であるという十分な意識を伝えていく責任を疎かにしてはならない、とされた。学校の規律と徳育が疎かにされ、「権利と責任の適正バランス」が失われる傾向にあったのである。

これらの答申は(単なる偶然かもしれないが)、ロビンズ委員会報告や世界全般の考え方の多くを取り入れていた。日本の教育方法を批判する人々は、審議会答申が基本的な諸問題に取り組んでいないとして不満を表明した。問題は、審議会が小学校から生涯教育まで教育のあらゆる範囲の問題に取り組んだことにあった。その答申を教育制度に生かそうとすれば、何世代もかかりかねなかった。答申の執筆者たちは、批判派を満足させることができないことを知っており、最終報告で次のように指摘した。「教育改革に関わる者は、日本の将来のために教育分野の各当事者間の相互信頼を回復しなければならない」

しかし、大学レベルで個性、多様性、独立性、創造性を重視するのは極めて歓迎すべきことである。主要な問題は、これらの価値ある教育目標がその後、一九九〇年代の景気後退に伴う財政的制約、具体的には学部の統合や廃止、スタッフの削減などのために行き詰まっていることである。だが、これはすべての国に共通した問題だろう。

いかなる社会でも個性と創造性を存在せしめるためには、学校でその基礎をつくらなければならない、というのが私の報告の主張である。英国では、個性を育てるには子供たちを小人数の学級で教えなければならないと考えられている。それを達成するには、大蔵省の略奪行為の犠牲になりやすい公立学校(一般には総合中等学校と呼ばれている)よりも、私立学校(パブリックスクールや独立学校)のほうがよい。もう一つの問題は、公立学校と私立学校の中間にあって、強力な学問の伝統をもつグラマースクールの地位だった。こうした分裂状況は政治的にも問題をはらんでいる。労働党が総合中等学校の教育(従って平等主義的な教育)を党として支持していながら、トニー・ブレア首相や党の間僚が子弟をグラマースクールに入学させているからである。

このような構造的問題とは別に、イギリスの学校長たちの大きな関心を集めている問題は、特別優秀な子供たちをいかに教育するかということである。英国の独立学校には、特別優秀な子供たちは学校での時間の少なくとも一部を割いて別に教えたほうがずっと大きな成果を上げる、という考え方があるようだ。これは「能力別クラス編成」を支持する議論であり、 エリート教育や差別教育につながる。

最近英国でスポーツ教育をめぐって展開されている政治論議に注意を喚起するのは、われわれのディスカッションにも有意義かもしれない。英国の教職員組合が、一日の授業の終了後は教師の疲労がひどくてスポーツに関して十分な監督指導やトレーニングができない、と主張したため、公立学校のスポーツの時間が減らされたという問題である。英国では、若い世代が健康に育っておらず、テレビを見ることしかできないカウチポテト、スポーツも自分でやらずに見るだけの人間になっている、という声も多い。ジョン・メージャー前首相の保守党政府は九〇年代に、競争を促すという理由で学校でのチーム・ゲームを奨励する措置をとった。教師の側は、チーム・ゲームは攻撃性を奨励するものであり、競争的価値は学校環境に調和を作り出す上で好ましくない、という理由でこれに反対した。この論争は興味深い。英国においてさえ、個人と集団(ここでは「チーム」)のどちらが優先されるべきかという点に関して、根底に疑問があることを示しているからである。奨励されたスポーツがチームのスポーツで、体操、サイクリング、テニスといった個人技能のスポーツではなかったことも興味深い。

 

結論

私のこれまでの論点は、日本人、とりわけ名を成した日本人の場合は――一般的に彼らはカリスマ的資質を身につけようとはしていないが、――決して個性を欠いているわけではない、ということである。私は私の日本人の友人が西洋人に比べて個性がないとは思わない。しかし私は、日本は歴史的、政治的な理由のために、そうあって然るべきだと思われるほどには個人主義を育ててこなかったし、どちらかと言えば、それを制限しがちだった、という日本の学者の主張には注目している。この主張を検証するにあたって、私は教育の役割を重視してきた。とい

 

 

 

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