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れている。これらの特徴の多くに関しては、日本人は英国の私の同胞よりも個人主義的だといえる。英国人は一九四五年以来、国の福祉制度、国が提供する教育などに依存するようになっている。

もちろん、哲学者たちが指摘しているように、個人主義は極端な勝手気ままに走りかねない。それは悪くするとエゴイズム、利己主義、ひたすら私利を追求する態度に堕すこともある。最近、西日本を旅行した際、六〇歳くらいの女性が歩道を自転車で走り、歩行者にぶつかったり、店先に並べた果物を転げ落としたりして行くのを見た。彼女には自分が間違っているとか、歩道では歩行者が優先されるとかという考えは一切なかった。これは無責任な個人主義の一例である。西洋人から見ると、日本には、利己主義とまでは言わないまでも、自己中心主義が少なくないようだ。歩道に怪我をした人がいても、だれも手を貸そうとしない。だから日本は必ずしも集団意識の国、あるいは社会的道義心の国ではない。それと同時に、例えば一九九五年に神戸で地震があり、市政が一時的に麻痺した際、若いボランティアたちが神戸に救援に駆けつけたことは、印象深い出来事だった。

こうしたことは日本だけの問題ではない。哲学者たちが問題にしてきたのは、個人主義(自由)と社会的責任(集団)とのバランスである。二つの間のバランスをどこでとるかは、西洋社会で常に論議されてきたことだった。特に目立ったのは、ソ連の崩壊に伴って、ロシアの統制と共産党機関の規律が取り払われたため、自由市場の「個人主義」と関わり合いをもつ悪習と不平等が見られるようになったことである。

私がこの論考で試みたいのは、ある国では個人主義が栄えている様子なのに、別の国(日本がそうだという)ではそれがあまり目立ちもせず、力強くもないのはなぜか、それを考察することである。現代日本との関係においては、この問題が歴史的な側面をもっていることは明らかであるため、まず一九四五年以前の状況を取り上げ、その後で戦後の時期について考えることにする。ここで大きな問題になるのは教育構造である。われわれは特に、個人主義という問題に対する学校や大学の態度を検討しなければならない。

 

戦前の時期

日本が個人主義と出会ったのは、一九世紀に西洋と関係をもった時だった。日本が近代国家に成長して入り込んだ世界は、個人主義の問題と国家の役割について欧州諸国の間に大きく異なったアプローチがあることを示していた。これは当時、欧州と仲良くしようとしていた日本を困惑させたに違いない。一八七一〜七三年の岩倉遣外使節団はこの問題に不思議なほど無関心だったが、一部の予想に反してロシアを日本の一モデルとして真剣に考えることはしなかった。伊藤博文は一八八〇年代の欧州滞在中、ドイツ帝国の憲法の枠組みとゲルマン世界の法律の教えに関心を傾けた。それゆえ、一八八九年の明治憲法にそれが表れていても驚くにはあたらない。この憲法は上から与えられたものであり、国家の行為は議会よりも天皇の勅令で決定されると規定していた。

明治の寡頭政治の当事者は、個人と社会の適切な位置関係を決定するに当たって困難に直面した。この論争に関わった興味深い重要人物は、駐米公使(一八七一〜七三年)と駐英公使(一八八〇〜八四年)を務めた森有礼である。森は公使時代、西洋のリベラルな哲学者たちと友人になった。森は初め、個人主義的哲学を支持していたようだ。森はその後、帰国して文部大臣(一八八五〜八九年)として明治政府で重要な役割を演じ、一八九〇年の教育勅語作成の初期段階を指揮した。この頃には、森はしだいに反個人主義的、国家主義的な哲学を主張するようになっていた。もちろん私も、この点については森研究家の間に意見の違いがあることは承知している。だが、森が考え方を変えたのは、日本が条約改正で進展をみることができなかったことから、強力で安定した国家とそれを支える教育制度が必要であることを認めざるを得なくなったためかもしれない。森は一八八九年二月一一日、大日本帝国憲法発布の日に暗殺されたため、その転向の程度については推測するしかない。

新しい憲法と教育制度は個人の権利を抑えつけるものだった。ドイツ人顧問のヘルマン・レスラーは、日本は「絶対的な人権ないし自然権を公式に承認することを賢明にも控えた」と論評した。明治政府指導者は、個人主義のような政治教義は新生日本には不適当だと思うようになり、彼らの改革計画に批判的な思想に反対し始めた。君主制主義者でありながら国家社会主義に近い福祉政策を推進していたビスマルクを真似て、日本は近代化を目指して半立憲君主制度を樹立した。このため、日本では個人主義のようなアングロサクソンの思想を唱道するのは、自

 

 

 

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